今日はアダルトチルドレンのカウンセリングに
行ってきました。


その中で一つ腑に落ちたことがありました。


ずっとわからなかったこと

私は親に手を出されたこともなく、
怒鳴られたこともない。
無視されたこともない。

一緒に遊んだり、
旅行に連れて行ってもらったりもした。

普通の家庭だったのに
どうしてこんなに生きづらいのか?


原因は育った環境にあるらしいのに
何が影響しているのかわからない。


子どもの頃の記憶もあまりない。



その理由が今回
私の中にストンと落ちてきたのです。




今日はカウンセラーさんと、
記憶に残っている子どもの頃の出来事をもとに、
原因を紐解いていきました。



頭の中に
父親とのエピソードが浮かんできました。


小6のクリスマスのこと

プレゼントが
私が希望していたものとは
程遠いものが置いてありました。


希望してたのはゲームソフト

きたのはオルゴール


父が言うには、
もう大人になったのだから
ゲームではなく、
オルゴールにしたんだと。


私は大泣きしました。

すごく楽しみにしてたのに。
数ヶ月間期待してたのに。
まさかこんなのがくるなんて。



たいしたことないエピソードに思えるけど、
記憶に残ってるということは
そのとき感情を出しきれていなかったそう。
多分父に対する怒りの感情。



私の望むことと
父が与えることがずれている

父親の与える愛情が
子どものニーズからずれていること


たくさんありました。


父は自分がいいと思うものを与え、
いいと思うことをさせていました。


父の言うことは正しく、
自分の要望を言おうなんて
頭はありませんでした。



母も同じでした。


私のニーズを汲み取ってくれた
記憶はありません。


特に私が悲しいときに
受け止めてくれたことはありませんでした。

そのようなときは

母も一緒に不安になって、
私になんとか乗り越えさせようと
頑張れ、頑張れの嵐でした。




父親は自分の与えたいものを与え、
母親は自分の不安でいっぱいで
私の望んでいるものを
与える余裕がありませんでした。


今まで漠然としていたものが
はっきりした感じがしました。


子どもの頃、
私のニーズに応えてくれた人が
周りに一人もいなかったんだなあと。


お父さんもお母さんも
おじいちゃんもおばあちゃんも、

みんな自分を押し付けてきました。
それが愛の表現でした。



親がニーズに応えてくれないと、
子どもはあきらめて自分の要望を
言わなくなり、
ひいては大人になっても
自分の要望を言えなくなるらしいです。


私は確かに自分の要望が言えません。
相手が迷惑するのではないかと
思って飲み込みます。


でも最近少しずつ言うようにしています。
言えば意外に迷惑ではないこと、
願いを聞いてもらえることもわかりました。


これからエピソードを一つずつ
紐といていくそうです。


モヤモヤしていたものが
スッキリしていくと嬉しいです。