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前半部分についてはカテゴリーの「深読み!」をチェックしてください。

では、後半の謎もバシバシ考えていきましょう!

謎6)何故サリマンのお小姓がハウルに似ているのか?

王室付き魔法使いのサリマン。
彼女はハウルが卒業した魔法学校時代の先生です。
そのサリマンには、おかっぱ頭のお小姓が何人も仕えているのですが、どうもそのお小姓たちの姿がハウルに似ていると思いませんか?
(初めてこのシーンを見たとき、最初フツーにハウルなのかと勘違いしてしまいました)
これがしばらく個人的には大きな疑問だったのです。
でも、宮崎駿監督の「もののけ姫」に関する取材でのお話を聞いたときに解決の糸口が見えたような気がしました。

宮崎監督は、ストーリーを組み立てるときにまず図式(図形)で考えるそうです。
各キャラクターの細かい行動の流れを綴っていくのではなく、大きな役割としてキャラクターを分類し、矢印などを使ってその役割であったり、関係性を突き詰めていくというやり方。

これを「ハウル~」のテーマのひとつである「家族」に置き換えて考えてみるととてもわかりやすいでしょう。
まず、主人公・ソフィーを【母】と仮定する家庭のとき、
ハウル【父】
マルクル【息子】
カルシファー【息子?】
荒れ地の魔女【おばあちゃん】
ヒン【ペット(犬)】
という、大団円のシーン通り、わかりやすい家族構成になります。

では、ハウルを【息子】とするとどうでしょう。
この場合、サリマンの担う役割は間違いなく【息子の親】です。
あえて【母】でなく【親】にした理由は、サリマンはそのどちらも兼ねている存在であると考えられるからです。
というのも。
原作ではサリマンは男性キャラクターとして登場するらしいのです。
(おそらく原作との相違点というのが往々にして物語の鍵である可能性が高い)

原作のサリマンは男性であり、映画でも描かれているその権力や強大な魔力は「父性」的なもの。
しかし、宮崎監督はあえて女性にすることで「母性」性をサリマンに加えています。
そして。
ここで、お小姓の存在がサリマンの「母性」性をさらに強調するのに一役買っている。
思うに、あのお小姓たちは、わざと「ハウルの少年期」に格好を似せているのでしょう。
「自分の息子が一番可愛いかった少年期」にいつまでも取り憑かれている母親。
「いちばん自分に従順であったころの息子」をサリマンは常に眺めていたいのです。

心理学的にも、母親の息子に対する愛情は、娘に対するそれとは少し違うようです。
わたしには兄がいるのですが、母も最近よく言ってます。
「お兄ちゃんも子供の頃はあんなに可愛かったのに…」って。笑
母親にとって、小さい頃の息子ほど可愛いものはない、と。

サリマンは、強大で権力を誇る父親であると同時に、相当子離れ出来ていない母親です。
どうしても息子を手の内に置いておきたい。

一方、ソフィーは【息子の恋人(嫁)】という位置に立ちます。
まさに、サリマンはソフィーにとっての姑。
嫁VS姑、間に挟まれる気の弱い息子…という、ホームドラマでありがちな家族の関係ですね。
そう考えると、あの場面でソフィーが少女に戻るのも納得がいく。
おばあちゃん同士ではこの図式は成り立たないし、この図式が成り立つからこそ、あの2人は対峙する必要があったのです。
だからこそ(ハウルも言ったように)ソフィーとサリマンのあの対決には意義があった。
今までのハウルとサリマンの2人だけの関係に、ソフィーが割って入ることになったからです。

ソフィーはサリマンに宣言します。
「ハウルはもう子供じゃない、親離れできます」と。
それは、“大人になる(ひいては、家族を築く)”ことの宣言でもある。
(実際にクライマックスの大団円で“ハウルとソフィーの家族”は完成します)
親元(サリマン)を離れて自立する若夫婦(ハウル&ソフィー)。
面白いことに、これ以降の物語のなかでサリマンが独りで担っていた父性と母性は分たれます。
ハウルは「父性」を、ソフィーは「母性」を徐々に持つことになるのです。
やはり、いつまでも親にかじりついていても本当の大人にはなれないということでしょうか。


謎7)終盤のソフィーの謎の行動はなんだったのか?
物語終盤、駿史上最高にして“最キュン”の名台詞(なぜ?僕はもう十分逃げた~きみだ)の後。
どういう訳だか、ソフィーは謎のぶっとんだ行動に出ます。笑

壱、突然「引っ越し」しようと言い出す
弐、カルシファーを城の外に出して城を壊す
参、さっき壊した城を動かせと言い出す

カルシファーからしてみれば、「えぇー!???自分で壊したくせに!」です。
でもこれ、城の仕組みとソフィーの気持ちをよくなぞって考えると合点がいきます。

まず、壱の「引っ越し」しようとした理由。
ちょっと前回の【謎】を思い返してみていただきたい。
ソフィーのしようとしている「引っ越し」というのは、ハウルの城の内部を形成する「拠り所」を移す、ということです。
ちなみに、現在の城の「拠り所」はソフィーの家。
そして、これがハウルが戦ってでも守ろうとする理由でもあります。

しかし、ソフィーはハウルに戦ってほしくない。
ソフィーの家を守るより、一緒に逃げてほしい。
そこでソフィーは「荒れ地」に引っ越そうとするのです。
もちろん戦火にある町から脱するという意味もあったのかもしれませんが。
そして、弐です。カルシファーを城の外に出す。
これは純粋に上記の経緯で逃げようとした結果だと思われます。
ソフィーとしてはまさか壊れるとは思っていなかった。
でも城は壊れてしまった。
おそらくソフィーは、前述の「ひとつの拠り所が城の内部そのものである」ことを知らなかったのではないでしょうか。(※謎4、5)
城の拠り所を移した(亡くした)うえに、カルシファーがいない状態の城。
そりゃあ壊れますよね。

でもソフィーはなんとかしたい。
ここで重要なのが、そのちょっと前の台詞「勇気を出さなくちゃね」です。
逃げようとした結果、城は壊れてしまった。
では、どうするべきか?
おそらく、行動する方を選ぶでしょう。ハウルを助けに行く。
だから城を動かそうとした。
一見めちゃくちゃなソフィーの行動ですが、
「逃げる」という行為をやめて「助ける」という行為を取った。
そういうソフィーの気持ちの変化だったのかなぁと思ってます。


8)何故突然タイムスリップしたのか?
これは「ハウルの動く城」のクライマックスにして、最大の問題シーンと言っても過言ではないでしょう。
まず、このタイムスリップシーンは原作にはありません!
再三言ってますが、原作に無いシーン=監督が意図して変更したシーン、です。
つまり、ここは重要なシーンであるはずです。

経緯をなぞると、
なんとか城を動かしたカルシファーを荒れ地の魔女が奪う。
(どんだけハウルの心臓欲しいんだっていう…もうこわいですね)
すると、おばあちゃんがもえてしまう!やばい!消火!水バシャ!
…カルシファー瀕死。
そして、嘆くソフィー、すると指輪が光って…という訳です。

ここのポイントは、この指輪です。
サリマンのもとから逃げるときにハウルがくれた指輪。
そのときハウルはソフィーにこう教えます。
カルシファーを心で呼んでごらん」
教えに従ってカルシファーを呼ぶと、指輪が光り、道を示します。
そう、この指輪は「心で呼んだ者のもとへ案内する」指輪なのです。

カルシファーに水をかけてしまったソフィーは嘆きます。
もうハウルを助けに行けないかもしれない。
でも、ソフィーは心に強く願います。
「どうしてもハウルを助けたい」と。
そして、指輪は「ハウルの居場所」を示したのです。
ハウルの居場所、それはまだカルシファーに心を渡す以前のハウル。
本当のハウル、心と身体が分たれていないときのハウル、ですね。
真にハウルを助けられる場所は、現在の戦場ではなく、
過去の契約を解き放つことであると、指輪が教えてくれたのです。
そうして、指輪の光が示すほうへ、ソフィーは向かったのです。


タイムスリップシーンの重要性は、もうひとつあります。
それはストーリーの全てに必然性を持たせているところです。
どういうことかと言うと。

タイムスリップのラストシーンにて。

ソフィー「未来で待ってて…ハウル!カルシファー!」
幼ハウル「え…?」


ここ!ここです!
「え…?」っていうハウル!その表情!
ハウルはちゃんとソフィーに気づいてるんです。
つまり、少年のあの日から、ハウルはソフィーを待っていたのです。
そして、映画冒頭のハウルの初登場シーンの台詞!

ハウル「やぁ、ごめんごめん。探したよ」

探したよ。探した。探したの。探してたんです!
ハウルはソフィーをずっと探してたんです!わーもう号泣!
そして、この冒頭のシーンでちゃんと
ハウルの指輪はキランと光ってます。

ソフィーはハウルと町で偶然出逢った。
でも!本当は偶然なんかじゃなかったんです。
ハウルの指輪が、ハウルが、ちゃんとソフィーを見つけ出したんです。

しかも、その後の二人の空中散歩のシーンでの台詞。
ハウル「足を出して、歩き続けて」
ソフィー「あっ、」
ハウル「そう、こわがらないで。上手だ」


そして、ソフィーがタイムトリップから帰るときの台詞。

ソフィー「歩くよ、歩くから…」

泣きながら懸命に歩き続けるソフィー。
ハウルの冒頭の台詞に応えるように歩き続ける。
ソフィーも気づいたんです。
偶然の出会いなんかじゃなかったって。
あのときからずっと自分を捜し続けてくれてた人がいたんだって。
わーもう号泣!

「ハウルの動く城」の魅力のひとつは、こういうかたちで
過去と未来を上手く交差(倒錯)させているところだと思う。
だから、何度見ても新しい発見があって面白いのです。
過去は過去であって過去でなく、未来は未来であって未来ではない。
全ては現在なのかもしれない、と思わせてくれる。
ハウルとソフィーの出逢いは偶然で、でもその偶然は運命的で、必然的だった。
それって素敵だと思いませんか?
どこかの「偶然」が本当は「運命」につながっている、っていう。
ロマンティック!ブラボーはやお!


9)ソフィーとハウルはいつ両想いになったのか?
これ、色々と論争があるみたいですけども、わたしはあえて断言します。

答えは「最初から」です。
お互い、はじめから好きだったんです。間違いなく。

これ、前半で挙げた「あなたを愛してるの!」というソフィーの台詞が
唐突に感じる人がいるらしい、という件に関係するのですが。
ソフィーにそんな予兆はなかった!みたいな。
わたしは予兆どうのこうのじゃなく、もう最初っから好きだったんだと思ったよ。

まず、この物語ってどのキャラクターの視点に立つかで色々と見方が変わってくると思うんですね。
で、わたしは最初にソフィーの立場(感情移入)で見てたんですが、すると結構すんなり叫べます。
「あなたを愛してるの」って。
だって、あれって完全に一目惚れだもん!間違いないもん!
相手はハウルですよ。
最初の出会いのシーンで普通に一目惚れするでしょう。
みんな冷静になっておくれよ、と私は言いたい。

・ナンパな兵隊さんに絡まれてるところを颯爽と助けてくれた
・やさしい紳士
・素敵な空中散歩デート
・イケメン
・ちょっとキケンな魔法使い


こんな好条件にも関わらず、惚れない女子がいるだろうか。(反語)
しかも、ポイントは声優が木村拓哉だということ!
駿が選んだ声優が、日本一のイケメン木村拓哉です。説得力ありすぎるでしょ。
つまり、ハウルは初めから「どんな女の子でも恋に落ちてしまう男の子」なんです。
だからソフィーが一目惚れしても何も不思議はありません。
(もちろん、そのあとに本当の彼を知って、より深く愛せるかどうかは別。)

しかも、予兆どうのこうのなんて人を好きになるのに関係ない!
そんなに過程が大事ですかね?
わたしは一目惚れって全然アリだと思ってる(むしろ運命感じる)ので、
なんら違和感なく受け止められるのですけれど。うん。
恋はするものじゃなく、落ちるものだ!!!!

そもそも、この「ハウルの動く城」って物語自体のテーマが
「自分に自信のない女の子が恋をすることで変わっていく」という面もあるので、
“恋に落ちてしまった”女の子が主人公でないことには物語がはじまらないしね。

で、もちろんハウルは最初からソフィーが好きです。
前述の通り。だって運命の人だもん。ずっと探してたんだもん。
じゃなきゃ、あんな怪しいおばあさんを城に入れないよ。
よくよく見ると、終始アプローチもしてるしね。

お互い好意がありながら、自分をさらけ出せないことですれ違う。
でも、相手を思いやるその心があるからこそ、自分とも向き合っていける。

そんなお話なんじゃないでしょうか。
素晴らしいラブストーリーです。


10)何故戦争をしていたのか?
これは、実際に何かに書いてあったのですが…

当時、このハウル製作期間中というのが、
某大国が某戦争をおっ始めたあの時期だったそうです。
それで、当初は予定になかった「戦争」というアイディアを加えたらしい。

たしかに、この「戦争」は、話として出てくるものの、
物語自体を大きく動かす要素にはなってないんですね。
しかも。
ハウルが加担しているにも関わらず、その正義がどこにあるか、
何と戦っているのか、原因は何か、などは明確にしていません。
ハウル自身も「敵も味方も関係ない」「みんな敵さ」といった発言をしています。
どうでもいい戦争。
これはあきらかに駿氏の反戦思想というか、
「戦争なんてくだらない、何の意味もない」という考えが表れているように思います。

ちなみに。
わたし個人的には、この「戦争」というネタを使ったのは
きっとラストでサリマンに
「こんな馬鹿げた戦争、さっさと終わらせましょう」
って言わせたかったからなんじゃないかなぁと思っています。
この台詞が全てなんだろうなぁと。
単純にこの台詞をサリマンが言う、ってところがミソなんじゃないかと。

それにしても、
宮崎駿作品でこういうカタチで「戦争」を扱うのは
ハウルだけなんじゃないかなと思います。
家族の結束をゆるがす要素のひとつが「戦争」だと考えたのかもしれないね。