旦那は坊主であるが、自宅では普段着を着ていた 

お坊さんのイメージだと、作務衣(さむえ)と言って、作業着のような物を着ているイメージだろう、確かに何着かは作務衣(さむえ)は持っていた

他のお寺で大きい行事があり、その準備の為のお手伝いの時には作務衣を着て出かけたりはしていた、恐らく他の方々が皆して作務衣を着てくる時にだけ合わせて着て行ったようだ

それ以外のちょっとした用事や行事で他のお寺に出かける時はいつも普段着だった

失礼ながら、旦那は全くファッションセンスが無く、ダサかった

まず、ファッションには一切興味が無く、洋服代では無く一番お金を使ってたのは酒代だった、特に外飲み代

旦那は職業柄か、スーツは一着も持っていなかった

大学の入学式に祖母に買って貰ったスーツはあるようだが、サイズが変わってしまい、それきりの様である

ちなみに大学の卒業式は、旦那は次男であるが長男が病死したため急遽お寺を引き継ぐ事になり、総本山へと修行に向かう時期が先になってしまい卒業式には出席出来なかったそうだ (兄が病死した経緯は、過去のブログ「旦那は次男坊」「跡取り息子」に詳細が載っております)

 何かにお呼ばれした時に着て行くスタイルは、法衣(ほうい)と いう呼び方のようだが、あのお坊さんの衣(ころも)を着て出席していた

友達や知り合いの結婚式に呼ばれた時は、その坊さん姿で出席していた、ウケを狙ってでもあるだろう

普通は他のお坊さん達はスーツ姿で出席するのだろうが、恐らく旦那はスーツを作るのも着る のも面倒&ファッションに興味が無いのでスーツを作らなかったのだろう

 同じ仲間の坊さんの結婚式には、周りも坊さんな訳だから気兼ねなく衣(ころも)を着て出席していた

なので、礼服も持っていなかった

年齢的に(52歳) まだ葬式に出る事は少なかったが、坊さん姿で足を運んでいた

私の実父が亡くなった時は、違う宗派だったが葬式では席を設けてもらい、一緒にお経を読んでくれた (身内に坊さんがいる場合はそんな風らしい)

服装がダサい旦那には、最初の頃は私がユニクロやGUやらでおしゃれに見えそうな服を自腹で買ってあげていたが、旦那が全然お金をくれないし私が勝手にやっていた事なので、もったいなくて買わなくなった

そんな旦那が4,5年前からテレビの情報番組で知ったのか、とあるブランド?とあるメーカー? とあるお店の服を自分で買いに行くようになった

 その名は “ワークマン” である

確かに手頃でファッション性もあり、うちの旦那ですらまともに見えた

最後に着ていたのも、ワークマンの服だった

最後に着ていた衣服で、上のジャケットがワークマン(中に着ているシャツ等はノーワークマン)このポケットに両手を突っ込んだまま顔面から倒れていた