
「花舞台へ帰ってきた。脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録 吉田蓑助・山川静夫」」
姉が深く感動したという本をアマゾンで送ってくれて、早くに読み終えていた。
文楽の人間国宝 吉田蓑助は、平成10年11月、
舞台を終え楽屋で異変を感じ、意識を失った。
65歳。脳出血だった。
過密で過酷なスケジュール続きの日々であった。
異変に気がついたのは、それより一月ほど前。横断歩道で信号待ちをしていると
身体が自然に動いて車道の方に寄って行くようで、じっと立っていられない妙な感覚だったと言う。
右半身と言語能力がやられた。
異変に気がついたのは、それより一月ほど前。横断歩道で信号待ちをしていると
身体が自然に動いて車道の方に寄って行くようで、じっと立っていられない妙な感覚だったと言う。
右半身と言語能力がやられた。
失語症(しゃべるだけでなく、書く事・文章を構成する事も難しくなる)である。
「生命(いのち)」は取りとめたが、蓑助にとって「生命」とは芸そのものが生命。
「生命(いのち)」は取りとめたが、蓑助にとって「生命」とは芸そのものが生命。
2~3日たつと、脳出血で受けたダメージの重大さに気がつき、不安と恐怖が押し寄せてきた。
「もう一度人形遣いに戻りたい」の一心で、理学・作業・言語療法の壮絶なリハビリに励む。
リハビリ途中で辛くてくじけそうになった時、「舞台に戻りたい」一心で、投げ出そうとは思わなかった。
初めて自分の名前が言えた時は、思わず涙をこぼした。
倒れて8ヶ月後舞台復帰の話があり、周りは「蓑助を殺す気か、あまりに早すぎる」
との声がある中、受けた。
蓑助は不安だが、病人とは言え、意欲が全身に満ち溢れていた。
ファンが固唾をのみ見守る中、舞台に復帰した時の迫力、魂。
蓑助は運動とは無縁だったが、ジムに入り、毎日3時間の運動。裏山を歩く事2時間。
公演中も毎日欠かさず続けた。
公演中も毎日欠かさず続けた。
蓑助にとって「いのち」とは文楽である。
一方、山川静夫は言わずもがなの元NHKアナウンサー。
NHKを退職後の平成12年1月、自宅で夕食後、ごろりとなってテレビを見ようとして
腕がヘナヘナとなり、言語障害が起きた。脳梗塞による失語症だった。67歳。
手足は大丈夫だが、言葉が出ない。
アナウンサーにとって致命傷である。
アナウンサーにとって致命傷である。
1週間後からリハビリが始まるが、脳がやられているので、簡単な足し算引き算もできない。
舌がもつれる。
自宅から持って来させた「アナウンス読本」とテープレコーダーで練習を繰り返した。
リハビリでは、言葉が出ないが、趣味の歌舞伎の事なら一生懸命になれた。
病床で毎日日記をつけた。書く事は、脳の大運動会だと実感した由。
病床で毎日日記をつけた。書く事は、脳の大運動会だと実感した由。
さらにそのリハビリ中に、2月には心不全・5月に腸閉塞と半年に3つの大病を患った。
心不全は不整脈を正常に戻すために、全身麻酔で電気ショックをかけて回復できた。
腸閉塞と大腸の腫瘍は名医の執刀で助かった。
心不全は不整脈を正常に戻すために、全身麻酔で電気ショックをかけて回復できた。
腸閉塞と大腸の腫瘍は名医の執刀で助かった。
病気を治すのは、運と医術と気力だと言う。
失語症の患者だが、衛星放送の司会を受け持っていた山川はリハビリに励んだ。
奥様は、どんと腹を据え、もどかしさをおくびにも出さず、言葉の回復につき合った。
外にもできるだけ出かけた。引っ込み思案は失語症の大敵である。
奥様は、どんと腹を据え、もどかしさをおくびにも出さず、言葉の回復につき合った。
外にもできるだけ出かけた。引っ込み思案は失語症の大敵である。
失った脳の機能に未練を持たず、残った機能をより活性化させて補う事で
少しずつ言葉が戻って行った。
少しずつ言葉が戻って行った。
その体験を「徹子の部屋」で話した事により取材が相次ぐ様になって行った。
そして、平成13年1月末、「山川静夫名人劇場(芸・話・人)」で
蓑助は雅楽の東儀秀樹と共演し、その後平成15年 山川の古希の祝い に友情出演している
蓑助は雅楽の東儀秀樹と共演し、その後平成15年 山川の古希の祝い に友情出演している
同じ歳の蓑助と山川の往復書簡は、病気との闘い、リハビリに対する一途な信念、
芸道にまつわる話、それぞれの師と友の話に及ぶ。
芸道にまつわる話、それぞれの師と友の話に及ぶ。
蓑助が自分の宝物だと言う、写真家 入江泰吉氏の自伝抄「大和路に生きる」の中の
「文楽にみる芸と人」。
そこには幼い頃の蓑助の文楽に対する真摯な人間性がくっきりと描き出されている。
人形師 大江巳之助との 二人の みのすけ の事。
「文楽にみる芸と人」。
そこには幼い頃の蓑助の文楽に対する真摯な人間性がくっきりと描き出されている。
人形師 大江巳之助との 二人の みのすけ の事。
神主の息子である山川が、国学院大学で寮生活を送る中、生涯の糧となる
歌舞伎好きの寮仲間との出会い。
野瀬四郎アナウンサーとの出会い、などなど。
蓑助と山川の往復書簡は、病からの気力での回復を軸に、
互いの真摯な芸への思いと、互いの尊敬を浮き彫りにし、深く感動した。
互いの真摯な芸への思いと、互いの尊敬を浮き彫りにし、深く感動した。
そして、こういう超一流の人達だけではなく、
人にはだれでも、その人なりの「花舞台」があると思う。
私の場合は、元気な時には気がつかなかった 「季節と共に歩む平凡な暮らし」・・・
それが 私の花舞台なのだ。
姉上、良い本をありがとう。
今朝の新聞に 脳梗塞の前兆が出ていました。
サインを見逃さず、すぐに病院へ!
ご参考までに・・・ http://www.noukouso9.com/apop/zen.html