この一年、皆様お世話になり有難うございました。
 
喪中につき、新年のご挨拶は控えさせて頂きますが
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

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人と言う字のように互いに支え合って生きてきた父(96歳11カ月)を2月に失い、
ただただ無我夢中でした。

ブログを書くことで、どんなに淋しさから救われたことでしょう。
心から、感謝申し上げます。
 
今年のお正月は、初めておせちの用意をしない、一人のお正月。
市内のホテルに一泊し、あと、ミステリーツアーに出かけます。

父を96歳11カ月で見送るまで、ずっと自宅介護でした。
一人きりでの長い介護。 
10年パスポートも、結局一度も使わないまま流しました。

90歳の時、膀胱がんと心筋梗塞で立て続けに入院。

それまで、常に背筋がピンと伸びて、着物で過ごしていた父も
背中が少し丸くなり、手押し車で歩くようになりました。

在宅での一人きりでの介護は、常に緊張感と背中合わせで、父が、ホウカシキエン から、 
朝、廊下で倒れて救急車で日赤に運ばれた時は、心臓の悪い私も、救急車の中で
倒れてしまいました。 

父が救急車のお世話になったのは80代からで、4回あります。
そのたびに、死の淵から蘇ってくれました。

2日で良いから心身ともに休みたい。
それでも、父を守る事・・・それが私の生きる支えでした。

お陰様で、最後までクオリティーオブライフを貫いた父。
入院前日には、地域のふれあい会で、キーボードでブンガワンソロを弾いて大拍手を頂いた父。

最後は 急性肺炎と心不全の併発でした。

集中治療室で、酸素マスクをつけたまま
「私は、もう長くないから、○○ちゃんに言っておきたい。
○○ちゃんのお陰で、私の人生は幸福だった。 ありがとう」
と二度、言い残し、その一時間後には、盛んに書く手振りをして
紙と筆記用具を所望。

「○○ちゃん ありがとう」と
書き遺してくれて、そのちょうど一日後に、天に召されました。

そのメモは、何よりの財産であり、生涯の宝です。

私は何にもできませんが、私は父を守る事ができた。

今も父の笑顔が浮かびます。

父は亡き母の事を深く愛していました。
そこが私は一番好きでした。 

父は、今も私の中に生きています。

       写真は、 今年1月の九州交響楽団ニューイヤーコンサートの 時のものです。
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