前回、頭の中の渋滞を解消するために「スマホを閉じて木を眺める」というアナログな再起動について触れた。

 

だが、現代を生きる私たちがスマホを完全に手放すことは不可能に近い。 

 

むしろ最近の私は、生成AIという「新たな知能」を日常の相棒として乗りこなせないかと、試行錯誤を繰り返している。

 

結論から言えば、その相棒は驚くほどに「未完成」だった。

 

 

先日、愛車であるバイクのキーシリンダーの配線をいじろうと、DIYの手順をAIに尋ねてみたときのことだ。

 

画面の向こうの知能は、さも当然のように「4ピンのコネクターを外して、次に……」と極めて滑らかな日本語で指示を出してきた。

 

しかし、工具を手にカウルを外し、現物と対峙した私は思わず手を止めた。

 

(……いや、これ2ピンじゃん)

 

そこにあったのは、AIの言葉とは似ても似つかない簡素な配線だった。

 

調べてみると、AIは同じ車種の異なる型式のデータをごちゃ混ぜにし、もっともらしい「嘘」をゼロから創り出していたのだ。

 

専門用語で「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる現象である。

 

 

現在のAI(大規模言語モデル)の本質は、意味を理解した知性ではなく、ただ「次に続く確率が最も高い言葉を予測して繋げる計算機」に過ぎない。

 

いわば、人間の脳でいうところの「直感(システム1)」だけで喋っているような状態だ。

 

事実の正しさを検証することよりも、言葉のノリや「文章としての自然さ」が優先されるため、悪気もなく滑らかな嘘をつく。

 

さらに厄介なのは、AIには開発段階で「人間に好かれる回答をするように」という強力なバイアスが組み込まれている点だ。 

 

「おもねり(Sycophancy)」と呼ばれるこの性質のせいで、AIはユーザーの勘違いや間違った前提を否定せず、むしろそれに話を合わせて嘘を補強してくる。

 

相手に嫌われたくなくて、必死に話を合わせては自滅する不器用な存在。

 

世間では「愛もAIも未完成」なんて上手いことを言う人もいるが、まさにその通りかもしれない。

 

 

現状、一歩間違えれば事故や故障に繋がるバイクの整備情報のような「正解が一つしかない領域」においては、私たちはまだ、検索という名のダブルチェックの手間を省くことはできないのだ。

 

だが、技術の進化は相変わらず凄まじい。 

今後Googleが目指している世界では、この「確率のパズルゲーム」の限界を突破しようとしている。

 

 

例えば、ゲームのプレイ中に届いたメールの内容を口頭で処理したり、わざわざブラウザを開き直さずにAmazonやTwitter(X)の「ナウのリアルタイム情報」を直接見に行ったりするような、スマホのOS(根本)と融合した世界観だ。

 

ここで個人的に合点がいったのが、近年のAndroidのアップデート、特に昨年の「Android 16」あたりで見せた通知機能の進化である。

 

なぜ、AIの知能を高めるために「通知欄」を便利にする必要があるのか。

 

ここには、ハードウェアの物理的な制限(メモリやCPUの限界)という明確な理由がある。

 

スマホのスペックには上限があるため、常にすべてのアプリを裏(バックグラウンド)で100%動かし続けることはできない。

 

となると、AIがユーザーの「今この瞬間の最新情報」を最も効率的にキャッチするための唯一のハブ(中継地点)は、各アプリがOSに向けて発信する【通知機能】の領域しかないのだ。

 

Googleがここ数年、通知欄の仕様を必死に変えてきたのは、AIという知能に「人間の最新データ」を吸わせるためのインフラ整備だったのではないか、と理系大学生としての勘が働く。

 

スマホという限られたリソースの中で、いかにノイズを排し、必要な情報だけをAIに交通整理させるか。

 

そのアプローチは、奇しくも私が小石川後楽園で考えた「脳の取捨選択」という生存戦略と、全く同じシステム論のうえに成り立っているように思えてならない。

 

今はまだ、型式を間違えて平気で嘘をつく、「直感(システム1)」の域を出ない未完成な相棒だ。

 

だが、OSとの完全な融合やセルフチェックの技術が進んだとき、AIは本当の意味で私たちの「理性(システム2)」になってくれるのだろうか。

 

 

バイクをいじっている最中に、「いや、それは違いますよ」とAIからズバッと冷徹に否定される未来。

 

それはそれで少しウザそうだが、そんな頑固で頼れる相棒の誕生を、私は案外楽しみに待っている。