先週、父が永眠した

 

最後の1ヶ月は

うとうとしていることが多く

 

体力も落ちて

声が出なくなっていたので

 

会いに行っても

会話はできなかったし

反応もあまりないときもあった。

 

 

それでも

父という存在に会いに行けることが

私にとってどれほど大きかったか

 

別れの日に思い知った。

 

その日、病室に入った瞬間

「父がいない」と感じた。

 

父のからだはあるけど

父がいない。

 

一瞬、どういうことかわからなかった。

受け入れたくなかったのだと思う。

 

 

医師からは、心の準備を、と言われていたし

どんどんと動けなくなる父の状態を目にして

 

自分なりに覚悟してきたつもりだったけど

心がついていってなかった。

 

そして

 

いつもそこに存在してくれてることに

私はどれほどの安心感をもらってたんだろうと痛感した。

 

 

 

私が父の存在から

当たり前のように安心感を感じていたのは

 

何があっても

私のことを信じてくれているし

私の力になってくれると

根拠なく信じていたからだ。

 

 

そう信じることができたのは??

 

父が無条件に愛してくれていたからだと

初めて、父と愛という言葉が結びついた。

 

 

私の記憶の中の

父はいつも背中か横顔で

 

私にむかって

笑いかけている姿や

優しい言葉は記憶にはない。

 

 

父から大切にはされているだろうけど

「愛されている」という感覚はあまりなかったけれど

 

今は、細胞にしみこむくらいに

無意識のレベルで

愛を注いでくれていたんだなと感じている。

 

 

言葉数の少ない人で

 

私たち子どもや家族に対して

愛情を言葉で表すことは

一度もなかったけれど

 

行動で

愛を与え続けてくれていた父。

 

 

「当たり前は当たり前じゃない」の

理解が浅かったなと思う。

 

もっと心で

「有り難さ(在ることへの感謝)」を感じよう。

 

そして、私の中にしみこませてくれた愛を

さらに育み、溢れさせていこう。

 

父が愛してくれたように

自分に愛を深く濃くしみこませていこう

 

父が与えてくれたように

目の前の人を幸せにする自分でいよう

 

お父さん、ありがとう。見ててね。