前回言及したイギリス人との論争。

ガチガチの軍国主義者ではない彼が「軍は必要」と言い切る根拠は「国民を護るために必要だから」。

実はもうこの時点で私と見解が異なった。

(ええ?!)

 

軍は必ずしも国民を護るものではない。

(えええ?!)

勿論、護る"ことも"ある。

でもそれが究極の目的ではない。

(そ、それじゃ...何を護るので?)

軍の究極の目的、それは...国体だよ、うさぎさん。

その国体を護るためなら国民に銃口を向けることだって珍しいことではない。

なんてこと、古今東西の歴史を見れば言わずもがなじゃないの。

今の時代にだってそれは行われていることだ。

 

内乱があれば軍は容易に国民を殺す。

国民の一部を構成していても、マイノリティは弾圧され、虐殺されることすらある。

もっと身近な例を挙げましょうか?

 

故司馬遼太郎氏が軍というものは、国民を護るためにあるのではない、と確信したエピソードについて昔読んだ覚えがある。

第2次大戦末期、北関東のどこかの駐屯地にいたそうだが、上官から「いざとなったら国体護持の為、戦車で東京まで進軍することもありうる」と聞かされて、司馬氏が狭い沿道には避難民がいて戦車では通れないのでは、とか何とか聞いたらばだ。

上官はなんて言ったと思う?

「そんなものは戦車で踏み潰して行けばよい」

...これなんだよ。

国体護持の為なら国民なんて虫けらのように扱われるのだ。

 

沖縄のあまりに多大で悲惨な犠牲も、同じ発想から引き起こされた。

国体を護る為の"捨て石"にされたのだ。

これも随分前に新聞で読んだことだが、今も頭に残っている逸話として、集団自決することになった中にいたある家族の話がある。

 

我が子を手にかけられなかった母親は、それを夫(子供たちの父親)に頼む。

そしてその後夫婦とも自殺を図ったのだが、2人は助かってしまった。

あと確か子供の何人かも助かった。

そして戦後...妻はことあるごとに夫を「人殺し!」となじったのだ。

 

あまりにも...あまりにも...むごい話だ。

父親だって殺したくなかった!我が子を。

誰がそうさせた?何がそういう状況を生み出した?

 

う...ダメだ、こういう話を思い出すとカバさん、どうにも耐えられなくて...ううう...

 

ごめん、また後で。

(村本君全然出てきてないんだけど)

後で出す。

「俺は出し物か」(←村本君)

君の素晴らしい、だがちょっと言葉足らずだった発言を補足したいのです!

なかなか進まなくて悪いけど。

ううう...

(↑上記沖縄の話を思い出すとめげるサル)