北海道に越してきて良かったなーと思うことの一つに、除夜の鐘を聴かないで済むというのがある。

(へ?)

勿論、屁も聴こえない。

(...)

 

横浜でも東京でも茅ケ崎でも、普段気付いてなくとも結構寺はあって、何処かしらから除夜の鐘が聴こえてきたものだ。

二方から聴こえてくることも。

 

私はあれが苦手だった。

(へ?)

だから屁の話ではなく、鐘の話。

(...)

 

年をまたいで「ごーーーん...」と鳴り続けるあの重々しい鐘の音は、本来ならその静謐で厳粛な雰囲気を深々と味わうべきなのだろう。

それが何故かあれを聴いてると、何とはなしに、気が滅入ってくるのだ。

 

特に子供の頃は、あの鐘を聴いていると何か焦りのようなものを感じて落ち着かなかった。

自分は何かし残したことがあるままなのではないか、という悔いにも似た思いと焦り。

(死期の迫った大人みたいだな)

老成していたと言ってもらおう。

(...)

まぁそこまで具体的な思いがあったわけではないが、自分でもわけがわからないだけに気が滅入った。

 

ただ歳食ってくるにつれてそういう感慨は寧ろどんどん薄れてきて、「欧米でなら花火バンバン打ち上げるとこなのに辛気くせー」ぐらいになってきてはいたが。

(↑年齢とともに退化している)

ホットケ。

 

それでも聴かないで済むに越したことはない。

そして...

札幌へ転居後聴かないで済むようになった。

 

そういえばこちらでは寺というものを見かけたことがないなぁ。

札幌には教会がやたらと多いので、寺の代わりに除夜の鐘鳴らすのかな?とも思ったが、それもなし。

しーーーん、と静まり返っております。

(それも辛気臭くないか?)

雪景色には静寂が似合うのです♪

 

除夜の鐘というのは元々108の煩悩を祓うという意があるそうだが、煩悩など持たないカバさんとしては余計なお世話だと思ってしまうのだろう、きっと。

(煩悩のない人はそんな風には思わないものです)

 

あ、お寺の皆さん誤解しないでね。

私寺は好きなんですよ。

というより、寺の庭というべきか。

長い海外暮らしでは日本庭園が見たくて見たくてしょうがなかった。

ああいう侘び寂びのある独特の景観というのは、ヨーロッパにはないからね。

(じゃ、今は見たくならないので?)

んー、今のところは別に。

寺より教会があるという点でも、やっぱり北海道は日本の中のヨーロッパという気はするのだけど。

見ようと思えば見に行ける距離にあると思ううちは、大丈夫なんじゃないの?

というか、実は中島公園内に日本庭園があるのだよ。

入ったことないけど。

 

そういえば、ヨーロッパではやたらと納豆を食べたくなることもあったなぁ。

これは全然好きではなかったのだが。

「納豆と一緒にしないでくれる?」(←お寺の皆さん)

ごめん。

 

えーと...昨日書いたように、今日はウーマンラッシュアワーの村本氏について書きたかったのだが。

存外長くなってしまったのでここで一端締め。

(今年もそういう脱線繰り返すつもり~?)

はぁ、何故かそうなってしまって。