前回ウィキリークス に絡めて、民主主義に則った上での容易な国際世論操作の可能性という恐さ、胡散臭さについて書いた。
気が付いた時には世界の大半の人が主催者の意図する方向を向いていた、ということも可能なのだ。
そこまでの意図があるかどうかは別として。
今後こういう手法をとる人の中にそういう人間が出てきてもおかしくはない。
つまり民主主義の中から非民主的な潮流を生まれさせることが非常に容易になったのだ、システム上は。
そういえばナチスも当時史上最も民主的なワイマール憲法によって誕生したのだった。
一種の「トロイの木馬」みたいなものかな?
いや違うな、別に敵方から送られてきたものではなく、あくまで自らの中に誕生させてしまったのだから。
勿論、ウィキリークスをナチスと同列にする気はないよ。
ただ、民主主義だからこそ可能なその手法が(国際)世論を非民主主義的な方向へ導く可能性が高いというか、結局主催側の意図に左右される確率がとてつもなく高いことを危惧するのだ。
誰でも容易にアクセスできる上、その情報に引っ張られ易いという意味で。
結局民主主義というものは素晴らしいものだが恐ろしく脆いものなのだと思う。
常に自らを崩壊させうる萌芽を内包しているのだ。
だから我々自身がそれを自覚して守ろうと常に思わなければ、堕落もするし、いつか非民主的な世の中になってから気が付くことになりかねない。
うーん、今一言いたいことが表現できないな...
(野生のサルにはムリ...)
うーん、やっぱり無理か...
(↑今日は素直なサル)
勿論、逆の場合もありうるとは思う。
こういった手法が民主主義をより強化する方向に働く可能性だって高い。
でもなー、国際政治を色々裏から(?)見て来てると悲観的にならざるを得ないんだよなー。
どちらにせよそれが主催側の意図一つにかかっている所がやはり怖いのだ。
うーむ、久しぶりに真面目なことを書いたら頭が硬直してしまった...
(...いっぺん死んでこい)