おぼつかない文章になると思いますが、完全に薬から断ち切るまで書いていこうと思います。翼と申します。本名ではないですが…
一番最初に病気を発症したのは中学2年の10月でした。その時の出来事は鮮明に覚えています。
原因は、よくあるイジメでした。
まあ対したイジメではなかったんですけど、小学6年の時にもイジメがあり…香水臭いとか、嫌いだから話しかけないでって手紙が回ってきたり、そんな感じです。
家庭環境も複雑で、片親です。4歳離れた妹がいますが、重度の知的と身体障害を持って産まれてきました。ヌーナン症候群とターナー症候群です。育児に疲れた父親が、私が小学4年の時に家を出て行きました。そこから崩れていったのかもしれません。
母親も妹の障害が原因だったのか、父親が出て行ったのが原因なのか分からないですが、妹の首を絞めて殺そうとしていて、やめてよ…と問いただしても、「あんたも殺されたいの?」と言われたり
小学6年のイジメの事でご飯が喉を通らず、後で食べるからラップするねって言っただけで、殺す死ねって始まって包丁振り回してきて、トイレに逃げる、っていうのは毎回でした。
父親の事を溺愛してた母親は、パブロンひと瓶飲んで、頭を掻きむしって暴れ、リストカットや壁や窓を殴り、傷だらけになっていました。
ちょうど母親の実家が近いのもあり、祖母を呼んで、これは入院させるしかないと判断し、2ヶ月ほど入院させました。
妹は祖母と祖父が相談し、安定してきている母親と話をして施設に預ける事に。条件は二週間に一回ちゃんと面会に行ってあげること。施設選びにもかなり時間がかかりました。今の母親の状態では虐待し兼ねないと思い、妹も施設にいることで友達が増えた様で、笑顔も増えました。
そんな事がありながら、母親も睡眠薬と安定剤を飲みながら生活し、私が中学2年の時の話に戻ります。
単なるからかい、よくあるイジメですよね。ブスだからとか、足が遅いとか、勉強出来ない、とか…
顔にコンプレックスがあった私も、被害妄想が酷くなっていき、同級生には無視は当たり前でしたし、男子とも仲は良かったのですが机を離されたりとか、まあよくあるイジメ?でした。
メンタルも強くなかったですし、母親の状態も見てきたので誰にも言えませんでした。その時に吐き出す場所を見つけたのです。
当時流行っていた無料HPや、前略プロフィールというSNSです。私はネットの世界に逃げました。
吐き出しました、辛い、こんな顔だから、死にたい、嫌だ…
きっと共感してほしかったのでしょう。それが当時嬉しかったのです。ネットの友達も増えました。
私の年齢を言い忘れていました、今年で23歳になります。なので約9年?前の話になりますね。
そして自殺未遂となる事が起こりました。誰にも教えていないHPや前略プロフィールが中学の皆にバレてしまい、隣のクラスの女の子のHPに本名を出されて中傷祭りです。これは本当に堪えました。毎日上がるBBSのレス、見たくないけど見てしまう、書かれている、私はいらないんだ、という妄想になり、初めてリストカットをしました。
痛い、とかではなく辛かった、が正しいのでしょうね。
ご飯も食べれず、母親はなんとなく気づいていたのかもしれません。熱を出したと嘘をついて学校を休み、元々側湾症で働かない母親と2人きり…ひたすらパソコンに向かう私…違和感はあったのでしょう。
今でも覚えてます、10月12日の事です。
当時祖父が建設会社の社長をやっていて、一軒家に住みたいという私のワガママで建ててもらった家にある、手の届かない洗濯物を干すポールがありまして。
ベルトを首に巻いて、遺書を書くというのも忘れ、もう逃げたかったんですね。
意識が遠のいていくのが分かった瞬間、母親に見つかりました。怒ってはいなかったと思いますが原因はどうしたと問い詰められ、手首の傷も、足を切っていた傷も見られ、白状しました。
ごめんママ、虐められてる、苦しい、死にたい。ご飯たべれない。何もしたくない。死にたい。助けて。
泣きながら訴え、これはマズイと思った母親はすぐ車を走らせ地元の割と大きな病院へ。
まず内科で診てもらったのですが、症状からして内科では診れないということで精神科に回されました。
診断し、体重と身長を測ります。
原因は、イジメで鬱病と自立神経失調症と気分障害と不安障害、だった気がします。
163センチに対して38キロまで落ちていました。入院確定です。
主治医となる先生は、すぐ荷物の用意をしてくださいと母親に告げ、私はベッドにいました。
正直、楽でした。
荷物をまとめてくれた母親は、何故か事を大きくさせようとなったのか、分からないですが新聞会社に電話をしたそうです。
そして地元で建設会社やってる祖父にも言ったみたいで、当時大問題になってしまいました。
2ヶ月の入院は確定になり、朝、昼、夜、寝る前と薬が処方されました。正直何を処方されたのかは覚えてないです。すみません。
徐々にご飯を食べ、携帯を弄る生活に。
ある日、入院して二週間くらいの出来事です。母親から電話が来ました。テレビ観ろ、と。
テレビをつけたら、私の中学のジャージだけが映り、顔は隠されていましたが
「中学2年女子自殺未遂」という事で取り上げられていました。
インタビューも受けていた様ですが、なんせ私の名字はとても珍しく、中学のジャージまで映ってしまい、「2年で休んでる奴は誰だ!」と問題になり、私だと分かりました。
それから色々な人から、上辺だけのメールが沢山来ました。
「大丈夫?」「心配だよ」「早く学校に来てね」
正直私は口が悪いので不愉快になってしまったら申し訳ないですが
「お前らが軽々しくやってた事がこんな事になってんのに何このメール、うっざ」
でした。
メール返す事もなく、HPのリアルタイムを更新。特定の人しか見れない様にしていたので良いですが、今で言う、病んでました。
そのニュースが問題になり、2ちゃんねるにも載ったみたいです。
ただ私はその時、楽になりたかった、それだけです。
毎日種類の違う薬を飲んで、ボーッとして、寝て、ご飯食べて、ボーッとして…の繰り返しで、それが楽でした。
そして2ヶ月の入院を終え、家に帰宅する事になりましたが、精神科には週に二回通う事に。そりゃそうですよね。
家に帰っても、一軒家に母親と2人。会話は軽くするけどほとんどパソコン生活。
母親にも、今では迷惑かけてしまったと思っています。
学校から電話は来ても、私は行きませんの一点張りでした。高校も行くつもりもありませんでした。
でも、とりあえず学校に行かないと…となり、校長室登校に。
何をするわけでもなく、教科書眺めるだけ。先生がわざわざ来て授業するわけでもなく。
一番苦痛だったのは、給食の時間に運んで来てくれる、唯一味方となってくれた女の子2人がいるんですが
野次馬が凄くて、あいつだ!あいつだ!と飛び交う声。正直やめてくれ…って思いましたね。
校長室登校というのもあり、中学のランクも下がりました。Dランク?だったのがKランクまで落ちました。そりゃそうだ。
3年になり、相変わらずな生活でそろそろ進路を決めないといけない時期になり
私は中学卒業して働く、と言いましたが、こんな身体で働けるわけもなく
とりあえず高校だけは出ろ、と母親に言われ、探しました。Kランクで、中学の同級生と出来るだけ会わない様な所を。
私が選んだのは、地元の定時制高校でした。
4年間というのは長いなあ、と思いつつ、内申と面接だけで良いという事で母親に告げると
父親が中退した高校だったらしく、あんたもどうせ辞めるだろ、と。
悔しかったです。父親と同じにしないでほしかった。
そこで母親の兄に相談。兄は「行きたいところに行かせなさい、俺は賛成だよ。」と。
その言葉に負け、定時制を二次面接で受ける事になりました。
定時制ということで、とりあえず受かりました。
そして何故か新入生代表になりました。内気な私に何を話せば…と思いつつ、定時制へ入学。
…その前に、私は目の整形をしました。埋没です。小学校から嫌だった一重から二重にし、女の子は単純なのか、それだけで少し自分に自信が持てる様になり、自分なりに化粧も始めました。母親もそれは喜んでいて、一緒に化粧していたのを覚えています。
整形したのは隠しながら、高校へ。
そこは予想がつかない高校でした。
定時制によくある、年齢がバラバラ。女子が多かったり、男子が多かったり、尚且つ不良みたいな人がとても多く…
正直大丈夫なのか、と思いながら登校したのですが、今思えば幸せでした。
イジメの事を知らない、遠くから来てる女の子や男の子が多く、普通に接してくれる。ただ、単純に嬉しかったです。
しかし、薬を飲む生活は辞められず。起きるのは15時、化粧なりして学校へ行くのは17時、給食が出るので給食を食べ、それから四時間という短い授業を受け、21時に終わり帰って、晩御飯を食べて寝る生活でした。
当時処方されていたのは、サイレース1ミリ×3、ユーロジン?ミリ×1、ジプレキサ?ミリ×1
頓服でセルシン10ミリ、マイスリーでした。
薬を飲みながらもバイトを探し、なんとか早起きをしてバイトに行き、家に帰り学校の支度をして学校、帰ってご飯食べて寝る…の生活でした。
初めてのお給料で、今まで迷惑かけたお詫びとして
母親、祖母、祖父、ひいおばあちゃんに全てお金を使いました。
今まで迷惑かけてごめんなさい、と。
母親は泣いていました。こっちも気づかないでごめんね、と。初めて母親とは親友の様になれた気がしました。
祖父も喜んでいて、本当に嬉しかったのを覚えています。
長くなりましたが、とりあえず高校3年位までのお話です。
次からは、かなり偏見持たれる内容になってしまいますし、引いてしまうかもしれないので、中傷覚悟で書いていきます。
高校4年になってからのお話になります。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
翼