正直いって、嫌なやつっていうのは、顔も見たくないし、話もしたくないし、一緒の時間を過ごしたくないし、一緒に食事もしたくないのよ。
家族や親戚の人達に対して、面と向かってこんなことは言えないけれど。こんなことは言ったこともないし、なるべく態度には出さないように、できるだけ最低限の社交辞令は大事にしたいなとは思っているけれど。
嫌なやつに囲まれていると、結婚して、子供つくって、そうしたら、そんなタイプの親兄弟や親戚との関わりや接触が強くなるだけなんだなあって思うから。
気持ちが変わるのは、実家の親戚や家族から離れて、人格や気持ちを尊重してくれるような、優しい人達に囲まれていて、そんな人達が既婚者で子持ちだった場合は、結婚したり、子供つくって、自分の家庭をつくりたいなあって思うようになってくる。
結局、対抗意識と勝ち負けしかない人達だから。
それで、恋愛する気にも、結婚する気にもならなくなってくる。
なるべく接触したくない。
なんでも対抗意識対抗意識。会いたくないのに、なるべく接触する回数を少なくしたいのに、親戚だから定期的に会わなきゃいけない。付き合わなきゃいけない。その人も、姑にいじめられているから、そういう感じになってしまったのかもしれないけれど。
もう、子供のころから、10代のころから、本当に嫌だったから。
嫁としてはえらいのかもしれないけれど。たまに会う、親戚の子供、女の子の立場からしたら。
基本的に、自慢話だったり、なにげなくけなす話だったり。
なんで付き合わなきゃいけないんだろうって。
それは結局、親戚だからであって。
嫌な雰囲気の集まりっていうのはだんだん人が避けるようになるから、逃げられない立場の人に毎回参加を望むし。
たぶん、男の子だったら、少し立ててくれたりするだろうから、また受け取り方が違ったのかもしれない。
あんなタイプの人達と血縁関係になって、定期的に会わなきゃいけなくて、(または毎日会わなきゃいけなくて)、なにかと張り合うぐらいだったら、そんな人達と接触しない生き方、家族や親戚にならない生き方でいいやって。一生独身で、子供もつくらないで、静かに死んでいこうって10代のころから思っていた。本当は会いたくない。家族とも、親戚とも。実家を離れていた時期は、そんな気持ちを忘れていたから、結婚しようかなって思うようになっていたんだけれど…。もしも、私が、長男の家で親と同居で、人の悪口が趣味のタイプの人達の親戚や家庭ではなかったら、また違う考え方になっていたのかもしれない。
うんと小さいころは、子供の美醜。
小さいころは、学歴競争。どこの高校へいった。どこの大学へいった。
その次は、就職。どんなところへ就職した。
その次は、結婚。どんな人と結婚した。
その次は、子供の数。孫の数で張り合うようになる。
たぶん、子供生んでたら生んでいたで、子供の出来不出来でいちいちなにか言ってきていた気もするし。
こっちが勝っていたとしても、なんか嫌だし。
だいたいお年寄りなんて、お嫁さんにいばるぐらいでしか、社会との参加意識をもてないような感じもあるし。最近、暴走老人が増えたのって、親との同居が少なくなったから、孤独になって、外の人にいばることで社会との参加意識をもとうとするっていうのもあるのではって。