空き時間もやもやいらいら | ゆーーーーーーつ(閲覧注意。読むと鬱やストレスになる記事有。)

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以前ペタされた方のブログを読むと、急に通院し始めた方も数名…。共感してくれる優しい人だと危ないので心身の不調を感じるなら読まないでね。ずけずけと書いていることも多いので、読んでいるとリアル社会での言い方がきつくなってしまうこともあるようです…。

小さいころからやる気がなかった。
親から怒鳴りつけるように命令されたり、イライラ機嫌悪そうに言われると、反射的に反発心が出てやるもんかと思う。
でも、周りから命令も期待もされなくなって、平和で時間があって退屈な時期にふと、全て周りの言うとおりに行動してみたらどうなるんだろうと思った。

いろいろやってみたけど、いくらこなしても満足することはない。

やる気が無くなることふたたび。

母に対して思ったこと。きっと姑もそうなんだと思う。

やればやるほど要求が高くなったり、自分で言ったことを忘れて指示がA→B→A→B→A→Bってなっていたりする。

お金をもらう仕事だったら言われるままするのもありかもしれないけど、家の中で家族がやることで、そう言われるから。

小さいころならわからなかったけど。それを指摘すると、あとづけの言い訳。さらに追求したら情緒不安定になってしまった……。


効率的にこなしても満足することがない。一体、目的とするところはなんなのか。

ほっとする時間を持つことが嫌なんじゃ。

一定時間、一緒になにかやりたいからなんじゃ。それか、絡みたい、威張りたいからなんじゃ。それで仕事をつくっているんじゃ。
つき合わされる、というか。一種のコミュニケーションの手段というか。

単に効率とか、仕事量とかから考えたら、早く終わることなのに。仕事が終われば新しい仕事をつくらされる。積み木を積み上げてもまた崩してまた積み上げるような。

なぜかいつも同じぐらいの時間をかけないと満足しない。なぜかいつも同じぐらいの量を指摘しないではいられない。
それは、その人が時間があるタイミングとか、寂しいと思ったタイミングとか、ちょっかいをかけたくてそのやり取りができることが重要で。
だから、情緒が安定していて人から慕われていて人望があって友達が多くてそのことについて詳しくて忙しくて人を何人も育てたことがあるような人が見たなら、もう指摘することが何も無いほどにできているのに、指摘してきたりする。
そこでおかしくなってくる。

結局、人間関係だった。人が嫌、身内が嫌だったんだ。

見ている時はいつも仕事をしなきゃいけないことになる。

私があまり出かけない人間だからな。外によく出かけるなら、それで距離を置けたんだけど。

手芸とか読書とかゲームとかパソコンいじりとか、家の中で周りの人が入ってこないで自分のペースでできることだからよかったんだな。

周りの人は、その人が休むこと自体が嫌なんだろう。家の中にいたって。1日だって、休めない。毎日なにかしら仕事していなきゃいけないことになる。

キリスト教の安息日。
日曜日は、仕事をしちゃいけない日。いい制度だよな。

アメリカの100年前ぐらいの児童文学で、子供のころに日曜日だから大人から怒らなかった。月曜日に言われたっていう話もあったな。

あと。ミモザの日。イタリアだったかな。母親を家事から開放してあげようっていう。

日本だとお正月のお節料理は、料理をしなくていいように日持ちするようにできているらしい……。でも、お正月って親戚付き合いの時でもあるからな……。