祖父母の若いころは普通に暮らしていても、大勢で賑やかに共同作業をする生活になっていたんだろう。
村社会で、機械化以前の時代で、交通網も発達していなくて、専門業者もなかった。
冠婚葬祭の会場は、自宅で。着物も食器も自前。近所の人に貸してあげたりもしたらしい。
田植え、稲刈りも、お手伝いの人に来てもらって、大勢でやる。
村社会で、わからないことがあったら村の人で詳しい人に教えてもらう。
野菜の交換とかで、交流があったり。
飲食店も無いから、
親戚の集まりも家でもてなす。(でも、祖父母と同世代で生きていたのに、家の近くに住んでいたのに来なかった親戚も多いんだよな。きっと集まりの時に嫌な思いをしたんだろう……。今来るのは祖母の子供と孫と祖母関連の親戚数人だけだ。祖父の姉弟はほとんど来ない。この家は祖父の家系なのにね。祖母の人柄のせいな気がする。今寂しいのは自業自得?!)
祖父の職場の人達が10人20人家に来たり。その時の写真を見ると、賑やかで、みんないい笑顔。祖母1人でもてなしたんだろうな。昔の専業主婦も大変だったな……。
(父は、職場の飲み会は外でしていたみたい。しかもしょっちゅうコンパニオンを呼んでいたらしい瀅この辺から世代が別れるんだな。祖父はそういうお店にそれほど行かなかったせいか、愛想のいい女性に対しても水商売の女性に対して絡むような言動はしなかったな。)