著者は、米沢在住の牧師である。
現在、カウンセラー的仕事が多いようだが、
その予約は数年先までいっぱいと聞いた。
「問題行動は改めさせる、しかし、その子は徹底して受容する。
罪を憎んで人を憎まず、です。」
カウンセラーも最終的にはここなんだ。
前回の伊藤さんと同じスタンス。
また、
「受けるより与える生き方」
も説いていた。
「 実は、与えるためには、 ”もらう” という気持ちが必要です。
どんなにたくさん持っていても、与え続ければいつかなくなります。
親切して ”あげる” では、いつかエネルギーがなくなってしまう。
親切をさせて ”もらう”、 掃除をさせて ”もらう” だと、
どんどんエネルギーが増えていき、疲れることがありません。」
何人もの女性と浮気をしてしまうご主人の相談に来たある奥さん、
のエピソードがあった。
カウンセリングを学び、夫が家をあけても文句を言わない、
帰ってきてくれるだけで幸せだという態度で接したところ、
次第に夫の女性遊びのペースが落ち、謝罪を口にするようになったとのこと。
これも見方を変えれば、
帰ってきて ”くれる” だけで幸せ、になる。
与えていても、”あげる” と ”されてもらう、くれる” では疲れが違う。
与えていたのに疲れていたら、”語尾”が”あげる”になっていないか、
考え直すところに知性を使える自分でいたい。
***** 一部抜粋 ******************
● 彼女は夫の心の渇きを知って、
自分が母親になってあげようと決めました。
謝罪を口にした夫に
「 私はあなたがいてくれるだけで幸せです 」
心の底から出た言葉でした。
それからみるみる夫が変わっていきました。
やっと母に愛された実感があったのでしょう。
現代の価値観からいえば、このような例をあげると、
どうして男のわがままのために女性が無理を、と反論が上がります。
我慢しないで離婚すればいいではないか、
女の主体性はどこにあるのか、というわけです。
得てして知的な女性に多いのですが、
相手の苦しみを理解しようとすることは、
相手に屈服することではありません。
この男性は、何人も女を替えていい思いをしているのではなく、
満たされていないのです。
自分を顧みる余裕さえないままに、女性遍歴を重ねている。
それを妻が愛をもってストップさせてあげることは、
主体的な行為だと思いますが、
いかがでしょうか?
● 不登校の子供に 「もう行かなくてよい」 と言い、
行き始める子と、もっと不安になってしまう子がいます。
なぜでしょう。
行き始めたケースは、
その子がなぜ学校へ行けないのかという気持ちがわかったから
「行け」と言わなかったのです。
駆け引きでなく、本音で心に触れたからよかった。
不安になってしまったケースは、
親と教師は、行けと言わない方が効果があるだろうという
動機からいわなかっただけで、
ほんとうは行かせたかったのです。
「行かなくていい」はたんなる駆け引きです。
言葉が問題なのではなく、
その言葉がどういう気持ちから出てきたのかが問題なのです。
その動機に「治そう」があるのか、「分かろう」があるのかの違いです。
意図的に企てられたところに、真の治癒はないのです。
******** 以上 *********************