お久しぶりですね~
ちょいと思うところがあり、備忘録の意味も
含めて、久しぶりに書きますねφ(・ω・ )
私は、小学生から中学生まで、夏の一定期間は
福井県の曹洞宗大本山の永平寺にて
座禅や修行の真似事をしておりました。
高校は臨済宗系でして、こちらは
週に一回、座禅の授業がありましたね~
そのため、座禅が身近にありまして、
今でも座ります。
さて、この日曜日、東京は文京区のお寺さん
での座禅会に参加しておりました。
臨済宗の古いお寺さんで、とても気に入り、
すでに複数回参加しています。
座禅は二十五分を一区切りとして、
二回座りますね~
その後、般若心経や座禅和讃を提唱します。
今回は三十名ほどが参加しておりましたね~
さて、般若心経を全員で読んでいる時の事。
クーラーなどなく、窓を開けっ放しです。
一匹の蝉の鳴き声が響きます。
その時に気付いたことは、三十名の声が
一匹の蝉の鳴き声に負けております。
私はその時、声を止め、考えてしまいました。
蝉は、生きるために鳴いている。
命を燃やして鳴いている。
この一瞬、後先や前後、左右、上下を考えず
ただ、鳴いている。
文字どおり、必死に。
それこそ、命がけで。
だから、三十名の声より一匹の声が大きい。
私は?
休みの日曜日、用意された場所に出向き
気軽に座禅に参加していないか?
必死に生きているか?
生きるということに命をかけているか?
そんな気持ちで、居合にも取り組んでいるか?
いま、この一瞬を、胸を張って
「生きている」
と言えるのか?
そう考えると、何だか恥ずかしくなりました。
蝉に教わった、とある夏の日です
平成三十年七月二十九日
一音
興道