それは、生や死なんかではなく、まして人間皆立場平等なんていう幻想でもなく、
「時間」というものだけが、誰に対してでも同じ分量で与えられるものだと思う。
何のために産まれてきたんだかわからない生もあれば
何のために生きてきたんだかわからない死もあるだろう。
でも、出発点や終着点がどんなに悲惨であっても、その間を過ごしてきた「時間の流れ」というものは
大変であろうと平凡であろうと、皆が平等に与えられた唯一の産物であると俺は思う。
その与えられた時間を、自分がどれだけ有意義に使用してこれたか・・・
結局は、その有無で人生は決まってしまう気がする。
俺のように、何も変えようとしないで、時間を「使用」するのではなく「浪費」してきた人間は、
元からある平等を自分から放棄している。
いや、浪費なら今もしているけど。
今、このパソコンに向かい、この文章を打っている時間・・
おそらく、これは時間の浪費だ。どうしようもないくらい、意味がないから。
彼女とするメール・・その時は、はっきりと時間を「使用」していると自覚できる。
過ぎていくのが惜しいくらいの時間を過ごしながら、
今までの人生の中で過ごした時間の無意味さを改めて感じる。
浪費した時間に、意味はない。意味がないから、その人生に価値も見出せない。
時間を使用している人間というものは、俺から見たら輝いて見える。
俺も、今後はそうありたい。
きっと、ポジティブでいられるのなんて、ほんのひと時だろう。
だけど、与えられている平等を自分から放棄するような真似を繰り返すのも、いいかげん21年続ければ
もう十分だろう。
課題は山積み。
俺は人としてのバッドステータスを両手いっぱいに抱えている。
それらを克服して、時間を使用できるくらいのゆとりが、もし・・いつか俺に出来たとしたら・・・。
そんな自分、想像できない。
だけどそれは、どんなにか素晴らしいのだろうな。