こんばんは🌆
今日、開きました本の中にありました📖
小さな失敗でもそれを隠すと必ず大きな事故につながります。
隠しとおせたとしても、うまく糊塗したとしても、失敗したという事実は変わらない。
そこから仕切り直して、最善策を講じるほかありません。
その際、当事者の潔く非を認める姿勢は、関係者が一致団結してことにあたる気持ちになるために必要だと思います。
隠そうとしていたのに、結局、露見するハメになった、というのでは、誰だって協力する気にはなれませんよね。
禅語に「本来無一物」というのがあります。
人間は本来、何ひとつ持たずに生まれてきたのだ、それが人間の本来の姿なのだから、執着するものなどどこにもないという意味ですね。
現在就いている仕事を失いたくない、というのも執着です。
現実問題として職を失ったら、生活をどうするかなどの問題はありますが、それはそうなった時に考えればいい。
莫大な損害を与えたとか、会社全体の名誉を汚したとかの場合は別ですが、企業側が一度や二度の失敗ですぐに解雇するということは、そうそうあるケースとは思えません。
仮に解雇になったとしても、本来の姿に戻っただけ、振り出しに戻っただけのことなのです。
そして、そこから始めるだけの力は誰にでも備わっています。
会社に居続けたい、今のポジションにしがみつきたい、という執着を捨ててしまえば、失敗を恐れることもなくなり、仕事に積極的に取り組めますし、自分を表現することも、能力を発揮することもできます。
日本航空に乗り込み、再建に取り組んだ稲盛和夫さんは、禅宗の得度も受けている人ですが、こんなことを言っています。
「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめたときが失敗である」
「本来無一物」だということを肝に銘じ、恐れず、チャレンジを続ける人であってください。

そちらから抜粋しました。




















今、新型コロナウィルスが全大陸に拡大しましたが、我欲からくる競争に「本来無一物」...
生かされていること、そして我欲ではなく正当な欲で自分を活かしていくこと...
醜い執着から離欲し、本来のあるべき姿になる。
その事を気付かされる為に、毒をもって毒を征する...
形をもって今がある...
足を止めなくては気付かない、行き過ぎたエゴに偶然という名の必然があるのだと思います。
気付を、
とずっと言ってきましたが、気付き改めて行く時がスタートしています。
以上で御座います。
今日は、曹洞宗徳雄山建功寺住職さんであります、枡野俊明さんの「心配事の9割は起こらない」
こちらの本を、祈りの気持ちで開きましたページに、書いてありました文章を抜粋させて頂いております。
今日のあらゆる全ての奇跡と愛と言霊に心より深く感謝します









ありがとう御座います🙏

ありがとう御座います🙏

ありがとう御座います🙏
