いつの間にか

今年最初のマラソン大会である

かすがうらマラソンまで残り2週間。

2月からは週1ペースで

だいたい15キロぐらいのランニング。

なかなか練習のペースと量が増えずに

ここまで来てしまったので

今日は思い切って

24キロランを決行❗️

桜並木(散る間際)を愛でながら

がんばりました。

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途中桜のトンネルを抜け
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手賀沼のほとりを5~6キロ走りました。

キロ5:45ペースで

最後はかなり脚にきてました。

小雨模様にも恵まれ(?)

雨のトレーニングまでできました。

とりあえず42.195の完走は見えた気がする。

サブ4はまだ見えませんしょぼん

当日走りやすい天気だと良いですな。
来月のかすみがうらマラソンに向け

練習ペースアップ。

昨日は18キロラン。

1キロ5分29秒ペース。

なかなか脚にきた。

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2014年いろいろありました。
11月16日、おやじが逝きました。

年末おやじの本を片付けました。
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こんなに難しい本を

おやじは現役の頃、勉強してたんですね。

ずげーよ、おやじ。

さすが、大学博士号を取っただけありますよ。

おやじが逝った日の前々日は

僕の仕事の節目となった日でした。

おやじがその節目を見届け、

逝ったのかな~。

今日は走り納め。

最近、腰痛がひどかったので

走ってなかっんですが

走り納めたかったので

千波湖を3週で9キロラン。

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千波湖きれいでした。

来年も良い年にしましょう。

良いお年を!



先月11/23に出走予定だった
つくばマラソンは

父の葬式などでバタバタしていたため

欠場しました。

ほんとは

喪章付けて

父の想い(なんでも頑張る心)を

背負って走りたかったんですけど。

とりあえず

来年4/19の


に申し込みました。

この大会は2回目。

一昨年は大雨の中での

マラソンだったので

次回はいい天気だといいな~ビックリマーク
先月急な形で亡くなった父は
畑での野菜作りにも

精を出していました。

その畑に行ってみました。
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20坪の畑にたくさんの

野菜がモリモリ育ってました。

ブロッコリー、白菜、ネギ、

小松菜、ほうれんそう、大根

キャベツ、チンゲン菜、春菊、

レタス、玉ねぎ、ニンニクと

12種類もの野菜が植わってました。

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息子も収穫するのが

楽しくバンバンとってくれました。

食べてみると

青モノはシャキシャキしていて

美味しかったです。

いや~、生きてるうちに

孫と一緒に

畑行きたかったろうな~。

畑に行こう、行こうと思って

行ってなかったんだすよね。

やはり思い立った時に

どんどんやらんといかんですな。


本日、平成26年11月20日
父は旅立ちました。

昨晩のお通夜にも

今日の葬儀・告別式にも

会場を埋め尽くすぐらいの

多くの方にご列席いただき

父を見送っていただきました。

賑やかなことが好きだった父なので

これだけ多くの方が

集まってくれて

とても喜んだと思います。

昨晩のお通夜のあとは

私が一人会場に泊まり

父と久方ぶりに

二人だけの夜を過ごしました。

時々線香をあげにいき

棺の中の父をのぞいては

想いにふけっていました。

またパソコンの中の

父の登山のたくさんの写真を

ウィキペディアで

父が登った山を調べながら

眺めていました。

2012年頃までは

夫婦での登山写真がとても多く

二人で雨の中

3000メール近い山に登っている

写真もありました。

本当に仲が良かったんだと思います。

2012年に母が脚の手術して

ハードな登山ができなくなると

父はますます熱心に

登山に行くようになったそうです。

今年に入っては

オンシーズンには

月に2度、3度と登山に出かけました。

2014年8月のお盆の時には

北岳という3000メートル以上の山に

父はツアーで登りました。

それは雨風強い中での登山で

山の上のほうの尾根を登って行く際にも

気をつけないと風で

飛ばされるような状況で

ガイドの指示のもと

雨風を避けるために

一時待機をはさみながら

登っていったそうです。

僕はこの北岳登山の話を

8月帰省した時に聞きました。

父から登山の話をまともに

聞いたのは

この北岳登山の話ぐらいでした。

この北岳登山の話を聞いた時は

とんでもなく過酷なことをやってるな、

と感じたことを覚えています。

そして、

なぜここまで過酷な想いまでして

登山するのだろう?

なにが父を突き動かしているのだろう?

と不思議に思いました。

いま想像するに

父はいつしか

日本100名山を踏破することを

目標とし

それに向かって

体力が落ちる前に

なるべく多くの山に

登りたかったんだろう、

ということです。

それが周りから見れば

ちょっとやり過ぎだろう、

と見えるぐらいの

登山ペースにつながったのではないか。

いまとなっては後の祭りで

父に聞くことはできません。

年が明け、暖かくなったら

父が倒れた山梨の山には

行ってみたい。

葬儀の会場では

父の登山の勇姿を

バネル写真にして

飾ってくれました。

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登山家の写真展みたいでした。

これには父も喜んだと思います。

そして、

父の登山写真を集めた動画も作り、

会場で流していたのですが、

とても多くの方が

熱心に見てくださいました。

会場の方の協力のもと

父の思い出をいっぱい

会場に詰め込みました。

葬儀の後、午後1時半に

父は火葬されました。

この瞬間が

父と永遠の別れとなりました。

骨となった父は

まったく別の形に変わりました。

この時から

父は僕らの大切な思い出に変わり

これからは

母を中心に、

そして母を大事に、

母のために

たくさんのことをしてあげたい。

父ができなくなった分、

僕らがやってあげる。

父の分、母に元気に

ハッピーにたくさん生きてほしい。

父に

『お母さんは僕らに任せて』と

約束し、送りだした。

今日は人生の大きな節目の日となった。












父は倒れた翌日の朝、
なくなりました。

享年70歳。

倒れてから一度も

意識を回復することなく。

倒れた日の夜は

呼吸はしっかりしていた。

それが翌朝になると

息をしているかどうか分からないぐらいに。

まさに虫の息のように。

それから徐々に

脈も弱くなり

まもなくして

父は

家族に見守られながら

生まれ故郷の山梨で

静かに息を引き取りました。

母によると

父は

私のことを直前まで

心配していた、とのこと。

息子のローンのことを心配していたそうだ。

そして、

仕事のことでは

倒れる前日に

私が朗報を報告したところ、

とても喜んでいたそうだ。

そして

これからも

しっかりやっていくと良いと

言っていたそうだ。

そんなアドバイスを

直接父から聞ける機会はなくなった。

もう一緒に酒も飲めない、

ゴルフにも旅行にも行けない。

いつか父と高い山にも

登りたかったがもうできない。

もうその声すら聞けない。

明日が最後の時だ。

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写真は父が亡くなった日、

山梨からの帰りがけの風景。

富士山がきれいに見えた。


今日2014年11月15日、
父が大好きな登山中に倒れた。
母が一緒に行っていたが

そんなに高くない山に登り始めて

間もなくした9:45ごろに

よろけて立てなくなり、

まともに口もきけなくなった。

周りの方が救急車を呼んでくれた。

救急車が来てくれたが

急いで処置しないといけないということで

防災ヘリで搬送することに。

川口湖のあたりの山から

山梨の甲府の病院に

2時間後ぐらいに搬送されたようだ。

その後の処置の結果、

脳出血であることが判明、

そして医師の話だと

かなり危機的で

ここ1日、2日で危ないかもしれないとのこと。

父は他の病気の関係で

血をサラサラにする薬を

常時飲んでいてそのために

出血が広がってしまったとのこと。

瞳孔も開いてしまい

意識もなくなってしまった。

母から13時半頃、電話があり、

急遽山梨の病院へ。

山梨は両親が生まれ育った地。

私も子供の頃は

夏休みには山梨の

祖父母の家によく遊びに行った。

久しぶりに山梨に向かうことになった。

3時間近くの道中、

夕焼けをバックにした

山梨の山々が美しく見えた。

ひときわ富士山の稜線の

美しさが際立っていた。

それを見ながら

生まれた地で、

そして

大好きな山に囲まれ、

これはこれで

父にとっては

とても良かったんだと思えた。

夕方6時ごろ病院に着いた。

兄夫婦をはじめ

親戚の方も見えていた。

酸素マスクと点滴をつけて

ベッドに横たわる父。

やはり衝撃的だった。

でも、見ようによって

普通に寝ているようにも見える。

しっかり呼吸はしている。

その呼吸をしている父を

見れて良かった。

母は山に連れて行ったこと
(止めなかったこと)や

最近父の脳の検査を

父にしっかり受けさせなかったことを

悔いて責任を感じていた。

でも、やはり運命なんだ。

父は退職後、

まったく畑違いの

メンタルヘルスの資格を取り、

企業へのセミナーなどを

積極的にこなしていた。

そのために

よく勉強もしていた。

そして、いつの間にか

始めていた登山に

どんどんのめり込み、

今年は夏に3000メートル級の

山にも登っていた。

夏、父から100名山に登るのが

目標なんだ、と聞いた。

その時点で100名山の本を

僕らに見せながら

50ぐらい登ったとこなんだ、

と言っていた。

この10月の頭には

うちの息子と一緒に

茨城の宝筐山にも登った。

息子にとって初めての

まともな登山だった。

もちろん息子も登りきった。

父は畑もやっていて

暇があれば畑の手入れをしていた。

退職後の人生を

ものすごい濃度で過ごし

エンジョイしていた。

母との旅行も

たくさんしていた。

充分やりたいことをやった人生だと思う。

11月の最初の連休では

僕らの家族が実家に帰った。

ちょうど2週間前だ。

回転寿しを父が一番食べていた。

その休日が

僕らが意識ある父にあった

もっとも最近の出来事だ。

その1週間後には

兄夫婦が実家に帰っていた。

昨日、私は

仕事である節目を迎えた。

それを父にメールで報告した。

ほどなく、父からメールの返信があった。

お祝いの言葉と

これからに向けた激励であった。

僕を引き締めるものだった。

父からのアドバイスは

いつも応援と引き締めの

二つが入っているのだ。

昨日、そんなやりとりができたのは

とても幸運だったと思う。

父は今年、古希を迎えた。

古希のお祝いに

6月には

みんなで鴨川の旅行に行った。

もう一度、父の声が聞きたい。









今日は手賀沼周辺で
ハーフマラソンの距離を

ランニング走る人

ハーフでもなかなかキツイです。

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途中白鳥も居ました。

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写真を撮ろうと近ずくと

白鳥も僕に近づいてきて

どうするつもりかな~

と思った瞬間、

クチバシで攻撃してきました。

白鳥も油断できません。

手賀沼までに向かう大堀川も

紅葉もしてキレイでした。
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つくばまであと4週間。

トレーニング増やさないと

当日にまた泣きを見そうです汗
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今日は地元の手賀沼マラソンの日で

僕がいつも走るコースもこのとおり。

皆さんが出走前の準備をするのを脇目に見ながら

今朝は18キロラン。

本番のつくばまであと1ヶ月。

体重2キロ落としと並行しながら

トレーニングですあせる

あ、来年は是非とも

手賀沼マラソンに出ようと思いました。