二、輪車業界のみならず、世界の経済界でも著名な本田宗一郎氏。
幼少からの夢であったモータースポーツの世界でも頂点を極め、飛行機への憧れの情熱は
ご本人の没後も社員に引き継がれ、小型機の製作に成功し、航空業界への参入も果たしたことが
先日のニュースで報じられたばかりだ。

小学校を卒業したばかりの本田宗一郎氏は、自動車修理工場「アート商会」で6年間勤務。
その手腕を買われて、浜松に「アート商会浜松支店」を設立するも、9年後には従業員に会社を譲渡。

その6年後には自身が持つ「東海精機重工業株」をトヨタに売り渡し「人間休業」を宣言。

そして1年間の沈黙の後、浜松に「本田技研研究所」を設立。
2年後には、同じ浜松に「本田技研工業」を設立し20名の従業員とともに2輪車の研究を開始。
翌年には歴史的オートバイ「ドリーム号」を完成させる・・・

町工場からスタートした本田宗一郎氏のヒストリーは、時代背景もあってか、奇想天外な逸話ばかり。
そのどれもが強烈な個性と、大いなる情熱から成っているように思える。

その本田技研工業を紹介するため、海外のメディアが制作したビデオが動画サイトにアップロードされている。
「1960’s Honda Factory Tour」と題した映像。
この頃日本ではまだモトクロスがレースとして行われていなかったので
モトクロスのシーンは無いが、貴重な映像に感動を覚える。