遅ればせながら…

演劇企画イロトリドリノハナ 旗揚げ公演
「明日ー1945年8月8日・長崎」
無事終演いたしました。

本当にたくさんのお客様に来ていただいて、なんといって感謝の気持ちを表したらいいか、もう言葉になりません。
とってもうれしいです!
ご来場いただいたお客様、本当に本当にありがとうございました😊

私の初めての主催公演で、この「明日」という作品を選んだのは、反戦反核の主張のため、というわけではありません。
私たちが生きていて、毎日、うれしかったり悲しかったり、いろんなことが起こる。
そしてまた、明日もそれが続いていく。
それが当たり前なのに、もしある時突然、それが断ち切られたら!
…そのような世界を描いてみたい、と思ったからです。
この芝居の中では戦争でありましたが、それが地震であったり、大雨であったり、もっと個人的なことをいえば、家族が「死に至る病」におかされたと知った時、である場合もあると思います。
今まであった、家族や友人達との穏やかで幸せな日々が、「明日」も続いていく、とは限らない。
それでも、人は生きていく、明日を信じて…
そうした状況から、人が生きる意味を問い直してみたい、と思いました。
この「明日」という物語の中で、人々はそれぞれの立場で、精一杯、命を燃やして生きています。
太平洋戦争終盤、という特殊な状況であっても、それは変わらない。
むしろ、そういう状況だからこそ、人はバランス感覚として、普通であることを望んでいます。
だから、普通にご近所のことを気にしたり、人を羨んだり、誰かを愛したり…。
実際、当時長崎で暮らしていた方に、直接会ってお話しをうかがい、できる限り、昭和20年8月のあの場所の空気感を、正確に表すように努めました。
私たちは、戦時中というと、いつも空襲に怯え、空腹に泣き、といった辛い毎日だったんだろうな、先入観を抱いてしまいますが、実際は飢えに苦しんだのは戦後であって、この頃はまだ食べられていたそうです。
もちろん、白いご飯やお肉などの贅沢なものは食べられませんでしたが…
空襲も数えるほどで、もちろん大変ではありましたが、それなりに穏やかに生きていたそうです。
それが、9日、たった一発の爆弾で一変したのです。

今作では、「石原継夫」「川辺安子」という登場人物二人に、井上さんの原作にはない設定を負わせています。
詳細は省きますが、彼らによって、日本はただ原爆を落とされた被害者であるだけではなく、実は加害者になる可能性もあったのだ、ということが暴露されます。
それによって、「人間が人間を殺すこと」に麻痺していく戦争の恐ろしさ、虚しさを伝えたいと思いました。
原爆投下後の広島を見た石原が、「あれは人の死に方じゃない」というセリフがあります。
いかに核が非人間的なものであるか、を端的に表したものです。
…と、ここまで書いてみると、やはり私には反戦反核の気持ちもあったのだ、と自分で気づきました。

もちろんそれがすべてではありませんが…


昭和初期と今の状況を、冷静にみると、似通っている部分が多いことに、嫌な気持ちになってきます。
この芝居で描かれた「明日」は、今、この時につながっているのです。
そして私たちの「明日」は今日と同じ日が続くとは限らない…
そんな思いを込めて…

ご覧になったお客様、どのように感じられたのでしょうか?
ご意見ご感想をたくさんお寄せいただけたらとてもうれしいです。
メッセージ、コメント等、お待ちしております😊

公演中、たくさんのお花や差し入れを頂戴いたしました。
本当にありがとうございました🙇‍♀️

この芝居に参加してくださったキャストの皆さん、うるさいことばかり言いましたが、最後まで諦めず、付き合ってくださって、本当にありがとうございました🙇‍♀️
舞台監督、美術の入倉さん、モダンだけど当時の長崎の旧家の面影を表した舞台、素晴らしかったです!
照明のつのさん、みゆきさん、特にラストシーン、鳥肌が立つくらい、ジーンときました。
音楽、音響の余田さん、ナガセさん、ワガママいっぱいいましたが、作品の世界観を一緒に作ってくださってありがとうございました!
受付さん、いつもテンパっていた私を、我慢強く支えてくれて、助かりました!!
チラシデザインのリコさん、映像の平島さん、カメラの五味さん、いつもドタバタの私に、切れずに優しく助けてくださってありがとう!!
ほかにも、たくさんの支えてくださった皆さん、ありがとうございました!
皆さんにいつか恩返しが出来るように、これからもがんばります!!

本当にありがとうございました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

#演劇企画イロトリドリノハナ #明日 #池袋演劇祭