この日はみんなでアウシュビッツ強制収容所に向かうこととなった
約2時間の行きのバスではみんな修学旅行のように楽しんでおしゃべりしていた
そしてあっという間に着いたアウシュビッツ
ポーランドに来た大きな目的であり、中谷さんという専門のガイドさんが中を案内してくれます
僕はなんともいえない気持ちでここにやってきました
ユダヤ人が大量虐殺されたことで有名なアウシュビッツ
今まで世界を旅してきてユダヤ人に対する感心は増していたし、実際エルサレムではたくさんのユダヤ人に会ったので感心の度合いが違いました
果たして第二次世界大戦中にここで何が起きていたのか?
収容所内に入ると虐殺が行われていたような物々しい空気はなく、建物が林立していた。
その建物は現在博物館として使われており、被収容者の日用品だったり髪の毛、カバン、飾られていた
アウシュビッツは安全な場所であると伝え、それを信じた被収容者たちはすべての財産をここに持ち運んだ
自分のものだとわかるように名前と住所が書かれているが、もちろん本人のもとに戻ってくることはなかった
安心してやってきたこの地で過酷な現実が待っていた
これは毒ガスのチクロンB
この地に送り込まれたユダヤ人、他多数の国の人々は働ける身体であるか医師によって仕分けされた
そして働けそうにない人たちは毒ガス室に送られる
子供や女性はもちろんガス室に送られる
まるでゴミを焼く作業と変わらない
焼却作業はドイツ兵ではなく、被収容者たちにすべて任せる
自分たちはまったく手を汚すこともないまま過ごすのだ
ナチス政権では政治的理由により正当化された行動がエスカレートしていきどんどん歯止めが利かなくなった
社会不適合者の排除を行い、健全で裕福なドイツに戻そうという考えの結果、政策は暴走していったのだ
その背景に理不尽な事実に反論、抵抗しない傍観者の存在がある
この「傍観者」という言葉は現代の僕たちにも当てはまる言葉であって、このような悲惨な事件が現代においても起きる可能性というのを示唆しています
中谷さんはできるだけ主観を除いて現実をありのまま僕らに伝えようとしてくれたが、そこには事実の悲惨さを伝えて何か感じ取ってもらうというより、ドイツによる政治、政策的事実を伝えることによってその事実が現在にも精通していることを教えてくれた
身近な例が「いじめ」の問題だ
いじめでは、いじめる人、いじめられる人、傍観者の3パターンが存在する
その中で数的に多いのは傍観者であり、それを見て見ぬ振りをする、強いては無関心でいる
そのような状況はまさにアウシュビッツでの悲劇と変わりがないということ
悲劇の度合いがまったく違うにせよ、その原因となるものは同じで傍観者の存在にある
アウシュビッツは今の日常を見つめる材料になるというのです
ぼくらの社会でも、政治、震災、TPPの問題等、傍観者であってはならない事例がけっこうあると思います
うまくまとめることはできませんが、関心を持ち何か行動を起こさなければならないと改めて思うわけです
またドイツの視点だけでなく、ユダヤ人、被収容者の視点に立って物事を見ないと大きな誤解が生じてしまいます
複数の視点から見えてくる全体像を捉え考えていかなければならないと、これは普段の生活においてもそう思うわけです
アウシュビッツの訪問者もここ数年でかなり増えているそうですが、現代に通ずる教えをみんなが知るためのいい機会だと思います
僕らは中谷さんのガイドによって一人一人いろんなことを考えさせられました
こちらはアウシュビッツのすぐ近くにある巨大な収容所「ビルケナウ」
中谷さんはどうしてこのような残虐な事件が起こってしまったのかしっかり説明してくれた上で、第一にアウシュビッツは「お祈りをする場所」だと話してくれた
色んなことを学ぶことができる以前にこの場所は亡くなった人たちのご冥福をお祈りする場所
実際たくさんの遺族の方が訪れていることを忘れてはならない
このことなくしてアウシュビッツは語れない
この地でご冥福をお祈りし、僕らはアウシュビッツを後にしました
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