前にも書いた通り、23日に行われた
再生つばさの会の平成24年度総会・シンポジウム
に行ってきた。
再生つばさの会とは、わたしが患っている再生不良性貧血や
それに関連する疾患をかかえる人・その家族のための「患者会」。
そういう会がある、ということは、発症後この病気について調べる中で知った。
新米患者が単身で乗り込むことに、自分としてはすこし勇気がいったけれど。
結果としては、参加して本当に良かった。
シンポジウムは本当に有意義なお話ばかりで、時間にして計3時間ほどの講演も
「短い」「もっと聞きたい」と思ったほど。
質疑応答では、それぞれの病状を少ない情報の中から想像してくださり、
それに則したアドバイスが次々と飛び出す。
また、わたしは「金沢の病院にいってみたい」と考えていたため、
金沢の先生にちゃっかりご挨拶してみたのだが、そこでも様々な疑問に答えてくださった。
会のあとに開かれた懇親会には、病気になりたてのわたしが
情報収集をと貪るように読んだブログの書き手さんたちが!
芸能人に会ったときみたいな気持ちになった。
(俳優の渡辺謙に会ったとき「あー、この人って本当にこの世に存在していたんだなあ」と思った)
そして、同病の先輩たちと話す中で、思わず「わたしもです!」と叫びたくなることがたくさんあった。
とくに、「この病気を人に説明するとき、難病でなく「奇病」と言っている、笑いも取れるし」というエピソードには、おどろいた。
わたしもつい3日ほどまえ、知り合いに「ちょっと奇病で!」と言って笑ってもらったから。
あとは何と言っても…
みんなげんき!
ああいう場だからテンションが上がるということもあるのだろうが、
「病人はどこですか」と聞きたいほど、みなさん元気だった。
傍から見たら、ただの楽しい飲み会にしか見えなかったろう。
わたしが、この有意義な機会を機に決心したこと。
「再生つばさの会」に入会しよう。
わたしはまだ、どこかで自分の病気を受け入れることができないでいる。
その気持ちが、医療講演会にいくこと、患者会に入ることを阻んでいた。
これをしちゃったら、わたし、ほんとにAAになっちゃう。
そんな気がしていた。
今回のシンポジウム・懇親会で、50年前は助からない病気だったAAに対する
先輩患者さんと医師たちの挑戦の歴史を知った。
わたしが治療を受け、会に参加できるまでに回復したのも
道を作ってくれた人たちがいたからなのだ。
わたしも「道を作る」までは行かなくとも、足跡を残すことができるかもしれない。
再生不良性貧血のいち患者として。
なんとなく、腹が決まった。
わたし、本当の意味で患者デビューできたかも。
あした、再生つばさの会の総会がある。
前々から気になっていた、医療講演会。
行ってみる。
懇親会にも、参加してみるつもりだ。
ひとりで行くので、すこしビビっているが。
と言いつつ、体調はすこぶるいいのだ。
病気のことを忘れるくらい。
先週は車で和歌山旅行に行っていたくらい。
(東北から、片道12時間くらいかかった!)
明日は早起きで朝イチ新幹線。
すこしの不安と得体のしれないわくわくで、なんだか落ち着かない。
いろいろ質問できるかな?
前々から気になっていた、医療講演会。
行ってみる。
懇親会にも、参加してみるつもりだ。
ひとりで行くので、すこしビビっているが。
と言いつつ、体調はすこぶるいいのだ。
病気のことを忘れるくらい。
先週は車で和歌山旅行に行っていたくらい。
(東北から、片道12時間くらいかかった!)
明日は早起きで朝イチ新幹線。
すこしの不安と得体のしれないわくわくで、なんだか落ち着かない。
いろいろ質問できるかな?
再生不良性貧血になって、入院して。
いろいろなことを不自由だなあ、と感じたけれど、
「食べもの」についてもずいぶん悩まされた。
2011年12月の入院当初から、「生禁」だった。
なまきんーーーーーすなわち、生食禁止。
免疫が下がっていたり、下げる治療をされている方には通じるであろうことば。
好中球が500を切ると、生のものを食べることが禁止される。
それらに潜む菌に、負けてしまうかもしれないからだ。
そういう意味で、発酵食品なんかも禁止される。
「生のもの」と聞いて思い浮かぶのはおそらく、
刺身くらいなものだろう。
わたしはそうだった。
でもね、生禁で食べられなくなるものって非常に多いんですよ、日常の食卓に。
生野菜、果物、生クリーム、生卵、納豆、フレッシュチーズ、ヨーグルト、漬物…
以上に挙げたものを摂取しない生活、想像しづらい。
わたしは、この生禁生活を結局退院まで続けた。(70日くらい)
生禁中に一番食べたかったのは生クリームとキムチ。
生野菜の中ではきゅうりがダントツに恋しかった。
いまは好中球も充実してきたため、
なんでも食べている。
もともと生もの大好きなので、お寿司も気にせず食べている。
(当初はさすがにびびりながらだったが)
退院後に感じたなんでもおいしく食べられる喜び、
忘れないでいたい。
いろいろなことを不自由だなあ、と感じたけれど、
「食べもの」についてもずいぶん悩まされた。
2011年12月の入院当初から、「生禁」だった。
なまきんーーーーーすなわち、生食禁止。
免疫が下がっていたり、下げる治療をされている方には通じるであろうことば。
好中球が500を切ると、生のものを食べることが禁止される。
それらに潜む菌に、負けてしまうかもしれないからだ。
そういう意味で、発酵食品なんかも禁止される。
「生のもの」と聞いて思い浮かぶのはおそらく、
刺身くらいなものだろう。
わたしはそうだった。
でもね、生禁で食べられなくなるものって非常に多いんですよ、日常の食卓に。
生野菜、果物、生クリーム、生卵、納豆、フレッシュチーズ、ヨーグルト、漬物…
以上に挙げたものを摂取しない生活、想像しづらい。
わたしは、この生禁生活を結局退院まで続けた。(70日くらい)
生禁中に一番食べたかったのは生クリームとキムチ。
生野菜の中ではきゅうりがダントツに恋しかった。
いまは好中球も充実してきたため、
なんでも食べている。
もともと生もの大好きなので、お寿司も気にせず食べている。
(当初はさすがにびびりながらだったが)
退院後に感じたなんでもおいしく食べられる喜び、
忘れないでいたい。