昨日8月18日は「米の日」でした。
これは単なる語呂で、米の字が八十八に見えるからのようですが、良い語呂ですよね。
私が米の日に気づいたのは、実はトイレにあるカレンダーに書いてあったからなんですが、
そのとき「米」という言葉に何か惹かれるものというか、引っかかりを感じたのです。
米というのはふつう調理前の生米のことを指すと思うのですが、調理後はごはんとか飯になります。
また、植物としては稲です。
なんだか、ほかの食物や野菜とは扱いが違う気がします。
状態で呼び名が変わる。ずっと生きている。
特別な気がするんです。
ほかの野菜と一緒だったら「稲を食べる」ということになるのだけれど、それはとても違和感のある言葉です。
で、語源についてちょっと調べましたら、実際のところよくわかっていない。
その中で、興味深かったものをひとつ。
言葉には動詞が語源になっている名詞がある。
たとえば「たたむ」→「畳」のように。
米も同様に「こめる」→「米」という説。
「こおる」→「氷」、「つまむ」→「つまみ」のように。
非常に納得する感じがするのです。
つまり、お米には色々なものが込められている。
私たちは稲作を行っていますが、稲作に惹かれた理由は「日本人の食の基本はお米なのではないか?」と考えたからです。
私たちは「食」を仕事としていますから、そこを追求したかった。
それは、色々なものが込められていることに気づいたからなのかもしれませんね。
「米が白い」と書いて「粕(かす)」
「米の康(コウ・・すこやか・安らか・和らぐの意)」と書いて「糠(ぬか)」
米には意味深い言葉も多くあります。
糠という存在もなんだか意味深い気になってくるじゃないですか!?
玄米は源米なのか?
米とは本来玄米のことではないのか?
考えると眠れなくなってくるので、今日はこのあたりで(笑)
最後までありがとうございます。