落雷があってさ。電車が止まってさ。
こんな時に思ったのが、
海の近くで育ったかどうかで、事実の受け止め方は違うかもしれない。
ってこと。
落雷があって、電車がじっとじっと止まってて、動き出す雰囲気もないとき、
まわりの何人かを見ていると、イライラを隠せない表情でいるし、電話では感情を相手にぶつけていて。
ぼくは思った。
しょうがないじゃん、と。自然現象だから敵いっこないよ、と。
でもよくよく考えてみると、そんな考え方に至ったのは、海が近くで育ったからなんだと。
釣りが好きで、釣りをしなくても、歩いて近くの浜辺にテトラポットに漁港によく行っていた。
あれは、海の波の形だったり、浜風の勢いを肌で感じるのが好きだったからなんだと今では思う。
毎日毎日、海が違う表情をすることを自然と知っていて、人間にはどうにもできない、そう感じていた。
その名残がいま都会の東京にきてもあって、どうにもできない現象があると受け止めている。
一方で、海に面してない、都会で育った人は、自然を受け止めるのが苦手なのかもしれない。
いろいろとコントロールできる利器を、生まれた時から知っていて、
ある意味、何でも思い通りになる仕組みが当然と暮らしてきているのだから。
落雷があって、電車が止まる。
雷様にイライラしていてもしょうがないし、その感情かみ殺して、
待つ姿勢や他の手段に頭をスイッチしたほうがいいのだと思う。
でもこれは、田舎者の考えなのかもしれないけど。
少なくとも、海の近くで育って良かったなぁ、と改めて嬉しい。
こんな時に思ったのが、
海の近くで育ったかどうかで、事実の受け止め方は違うかもしれない。
ってこと。
落雷があって、電車がじっとじっと止まってて、動き出す雰囲気もないとき、
まわりの何人かを見ていると、イライラを隠せない表情でいるし、電話では感情を相手にぶつけていて。
ぼくは思った。
しょうがないじゃん、と。自然現象だから敵いっこないよ、と。
でもよくよく考えてみると、そんな考え方に至ったのは、海が近くで育ったからなんだと。
釣りが好きで、釣りをしなくても、歩いて近くの浜辺にテトラポットに漁港によく行っていた。
あれは、海の波の形だったり、浜風の勢いを肌で感じるのが好きだったからなんだと今では思う。
毎日毎日、海が違う表情をすることを自然と知っていて、人間にはどうにもできない、そう感じていた。
その名残がいま都会の東京にきてもあって、どうにもできない現象があると受け止めている。
一方で、海に面してない、都会で育った人は、自然を受け止めるのが苦手なのかもしれない。
いろいろとコントロールできる利器を、生まれた時から知っていて、
ある意味、何でも思い通りになる仕組みが当然と暮らしてきているのだから。
落雷があって、電車が止まる。
雷様にイライラしていてもしょうがないし、その感情かみ殺して、
待つ姿勢や他の手段に頭をスイッチしたほうがいいのだと思う。
でもこれは、田舎者の考えなのかもしれないけど。
少なくとも、海の近くで育って良かったなぁ、と改めて嬉しい。
