こんな幸福な気分になれたコンサートは久しぶり
先ず、スカルラッティのソナタが、誰にも真似の出来ないくらいの典雅さと滑らかさをもって演奏されたのに続いて、ショパンのマズルカと幻想ポロネーズ。声高に叫ぶような箇所は皆無なのに、強い訴求力
前半も素晴らしかったけど、後半のドビュッシー(前奏曲集第2巻全曲)は、その更に上をいく今回の演奏会の白眉。巨匠って言われる人も、脂の乗り切ったヴィルチョーゾって人も、話題の新人の演奏会にも出掛けてるけど、今回くらい感動的なドビュッシーを聴いたのは・・・もしかしたら初めてかも。
遠山慶子さんの演奏会を聴きながら、以前内田光子さんが、テレヴィのインタビューの中で、『極限まで自己を滅していって、聴いてる人の中で“内田光子を聴いてる”って感覚が無くなって、曲の素晴らしさだけが残るような演奏が理想』って話してた事を思い出した。内田光子さんの演奏は大好きで、モーツァルトの協奏曲や、ドビュッシーの録音も良く聴くし、何度も演奏会に出掛けてる。ただ、素晴らしいって思いつつも、その演奏を聴いてると、頭からお尻まで『ワタシはね、“作曲者の意図”はこうだ思うの
細部まで良く聴いて
』って言われてる気分になっちゃって、どうも緊張させられるって言うか、「リラックスして聴く」って風にはなれないところがある。
遠山慶子さんの弾くピアノは、それとは対極。強い芯を持ってるんだけど、「演奏者の感じたイマジネーションを聴衆に伝える」ってより、「演奏者のイマジネーションが聴き手のイマジネーションを触発する」って言うか、客席に座ってると、舞台の上で鳴った音が身体に染み込んできて、それが身体の中で無限に広がってく・・・って感じ。これなんだよねー、音楽を聴く醍醐味って。
聴きながら、いつの間にか意識の中から彼女が消えてっちゃって、「スカルラッティって素晴らしい
ショパンって素晴らしい
ドビュッシーって素晴らしい
」って風になってく。20年前に発売された或るピアニストのCDの解説書で、遠山慶子さんが相澤昭八郎さんと対談をされてたんだけど、その中にこんな事を仰ってた。
「個性的だというのは、コントラストを付けてメチャクチャやるのを云うんじゃなくて、『自分に忠実で他に何も出来ない』っていうのが個性だと思う。」
彼女の演奏は、その言葉の通りだった。はじめの音から最後の余韻まで、ずっと強い意識を伴ってたんだけど、同時に『こういう表現も素敵でしょ? でもこういう風にも弾けるのよ』っていう(「確固たる意思」とは一見相反するようにも見える)「自由度」も伴ってたのが凄い
今回のリサイタルは、25年振りのソロリサイタルだったとかで、次回がいつになるのか全く判らないけど、次も絶対行くつもり。 はー
