ロウ講堂改修工事完成

去年、8月25日に九州に上陸した台風25号により母校のロウ講堂が甚大な被害を受けました。

西南女学院は1922年(大正11年)にアメリカ南部バプテスト連盟から派遣された、J・H・ロウ宣教師により、当時小倉市到津の、小高い丘の上に建てられました。
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初代院長でもあるロウ先生を記念して、1935年(昭和10年)W・ヴォーリス設計により建てられ、2015年に被害にあったロウ講堂の改修工事が、1年をかけて完成し、今日完成式が挙行されました。
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小高い丘の上に立ち、簡素な白い外壁は清楚感を醸し出しています。とはいえ全く装飾性がないかといえば、ファサードには幾何学系の模様が施され、造りの丁寧さとセンスを現代の私達にも感じさせます。戦時中はその眺望の良さゆえ、ミッション系学校としてスパイ容疑がかけられ、軍事関係の施設として用いられました。私たちの頃はまだ、地下室には戦時中のの痕跡がありましたが、出入り禁止で、先生から西南七不思議のお話をお化け話のようにワクワクしながら聴きましたが、今はどうでしょう?

近年北九州の教会建築は次々と建て替えられていき、その痕跡を辿ることが困難になっていきつつありますが、その中でこの建物はただひとつミッション系教育機関の誇りを今に伝えています。
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私が生徒のころは、神戸北野の建物群ような宣教師館や校舎があって、音楽館前の長い渡り廊下を通って、ロウ講堂まで整列して毎朝の礼拝に行っていました。今はロウ講堂に行くときは外を通ってます。生徒の後ろ姿に同期生の姿が浮かびます。
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中に入ると、きれいになった講堂に生徒たちの後ろ姿。
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天井を見上げると、見覚えある灯りが温かく輝いています。
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天井の灯は一つづつ分解して、きれいにして復、組み立てたそうです。
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二階に上がると、見覚えある長椅子。これに、蟹のように横歩きして入って行き並びました。
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♪昔主イエスの 捲きたまいし いとも小さき 生命(いのち)のたね♪(讃美歌389)

聖書、讃美歌、お祈り、式辞 祝辞 感謝の言葉 讃美歌 校歌、祝祷をもって式が終わりました。
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♪清き西南わが母校 仰げば高き山の城 かくるることなき その光 邦と家に かがやかせ♪。
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お父さん、お母さん、この学校で学ばせてくださり、ありがとうございました。