山南河北 | 安良ブログ(My三国志避難所)

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安良いわく・・・
「マツモ氏が復活する時、My三国志を愛する猛者達が再び集うであろう」
同年同月同日に死ぬにはまだ早い。

お散歩しながら、三国志の空想にふけっていたら、
『山南河北』
という言葉が思い浮かびました。

『山南河北』とは、
「山の南側と河の北側は、とても陽が当たって良い場所だね♪」という意味です。中国は主に西→東に川が流れるので、この言葉が今も残っています。史上、この意味で有名なのは 「咸陽(かんよう/現 咸陽市)」 という場所です。(長安の左隣だよ^^)


「よく陽が当たる」という言葉から、道教の「陰陽太陰大極図」を連想しました。
陰は地」、「」の意味、と言われています。(他にも「女・男」などもあります)

・・・・・・・・・・・・。



そこで、私は気付いてしまったのです Σ(n‘∀‘)ηモシカシテ!!

この人物!

1511_〔薄桜鬼〕山南01a.png

「山南敬助」(←新選組 総長)
彼の名前をよく見てください!
さっ、「山南」だぁ!!


御所がある京都は、山の南側に位置し、『山南』と言えます。
また西と東に流れる川は京都の下方で合流していて、京都の位置は『河北』って言える気がしませんか?!
貴船の方は山が多く山、桂川と鴨川は南で合流しています小女子

そして道教で、。つまり 天皇 につながります。
(古来、「陽」は天子・王のいる首都名として用いられた字なのです)


の当たる山の南のいる場所 = 天皇の都
つまり、山南敬助 の名前は
「天皇を敬い助ける」

という決意表明に見えたのです (*≧∇≦)/

ドーン!☆


思えば、山南って珍しい名前ですよね。
江戸末期は革命期という事もあり、偽名・改名が流行っていました。
また、「山南敬助 は偽名だった」なんていう説も多く・・・・・・ムネアツです
(*´Д`)ハァハァ

山南さんの教養ならば、この意味を分かった上で、「山南」を用いたはずです!(言い切ってみたっ[壁]д・)Ξスッ)
人当たりの優しい、おだやかな人柄でしたが、尊王の志は人一倍強かったのだ・・・と、安良は感じたのでした ( *´ェ`*)ポワワ



1604_〔薄桜鬼〕山南敬助.jpg

≪薄桜鬼 山南敬助  (cv飛田展男)≫