毛沢東の背中を③ | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

孫文があの時死なずにいたら、


中国はとりあえずは、国民党でまとまったのではと


そうなると、その後の発展ははやかったのか?


もっと早くに発展することができたのか?


毛沢東を必要とはしなかったのか?


私は、そうは思えない。


仮に国民党が政権をとったとしても、中国の問題は


やはり農村にあったと思う。貧しい貧しい


膨大な農村人口を抱える、この中国が


スムーズに、資本主義に進み得たとは思えない。


ブルジョアジーとプロレタリアートとの闘争は


やはり必然と起こり得たのでは。


毛沢東が目指した共産主義!!


この流れに、戻らざるを得なかったのでは


と私は思う。


農村の貧困問題、日本も明治大正昭和と


この問題があった。


尚且つ人口の大部分を農民が占めている


そんな国では、いきなり資本主義というのは


かなり厳しいのではと。。


満蒙、満州国建設は、日本の農民100万人の

移植計画があったと言われている。


資本主義でスタートすると、必ずこの農民問題

にぶつかるはずなのである。


そういったなか、毛沢東はマルクスの共産党宣言を

普仏戦争後の1871年に史上初のプロレタリアート独裁による

自治政府の宣言したパリ・コミューン。


そして1917年のロシア革命と、社会主義国家、共産主義国家

という流れが、うまくその時代の中国の現状に合致していた。


ありあえないが、もし、日本の明治維新がこの中国の同時期頃で


世界の潮流が、パリ・コミューンや、プロレタリアートや共産主義で


あれが、日本も同じ道を歩んでいたのではないか?


そんな構造が、あるのではないか。


私は中国に住んでいるが、その近代史や現代史には

うとかったので、思いつきで言っておりますが、


そんなふうに思いながら。。


この国が歩んだ近代史、現代史が確実にその

爪痕を今の中国の人たちは背負っている。


そういった歴史的文脈から考えることが


日本人の私にできるなら、


今のこの日中問題も、違った見方ができるのではと。。。


そんな思いで、私は瀋陽中山広場の


毛沢東の背中を。。見ながら。。走っているのである。


おわり。。。