毛沢東の背中を②(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

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ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

昨日の続きから。。


中国近現代史を通して、私が思ったことが


昨日かいた、なんてまとまらんのだろう、


この国は。。そういう強い印象がある。


先々月、司馬遼太郎の坂の上の雲を


1巻~8巻までぶっ通しで読んだ。。


その影響もあるのか、明治の日本人たちと

比較してしまう。


しかし、その比較を日本人の本質としての


革命の成功と読み取りはしなかった。


きっと日本にずっと住んでいたら、そう思ったかも

しれないが、中国に住んでいる者として


構造的に、中国があのようにアヘン戦争から


激動の時代を歩んだと理解している。。


その構造とは、何なのか。。



私なりに考えてみる。


まず清朝末期の頃、イギリスが清朝に開国をせまるが


清朝は、対等の貿易を望まなかった。


中華のコスモロジーゆえの、プライドというか


世界の中心は中国であり、その中華のコスモロジーの


輝きが届かない場所を辺境とする、


そういったものが、彼らの変化を拒んだ。


中国は数千年前からずっと世界一の大国であり

経済規模も人口も、ずっと世界で一番であった。


しかし産業革命以降、ヨーロッパが近代化を果たし

軍事力において、メキメキその差を広げて行った。


そういった世界情勢の変化に疎いままの清朝が


アヘン戦争で、アロー戦争で、日清戦争で


眠れる獅子と言われた中国が、あっという間に


やられてしまう。


先に中国がやられてしまうことで、それを見た日本は

ひたすら、脱亜入欧を進み、近代化を果たした。


そんな日本の明治維新の成功に、あこがれた。


清朝末期の中国人は堕落していた。


機能、魯迅の阿Q正伝を、アマゾンの買い物カゴに

放り込んだが、まだ読んではい長い、その時代の

典型的な堕落した中国人像を描いた阿Qを一度

読んでみようと思う。


変化するのが遅かった。また遅れて起こした変化も

中華のコスモロジーゆえの、プライド故に吸収力が

悪かったのでは、とも思う。


中国の自国の文化へのこだわり、媚ないこだわりは


私が初めて中国に来た時に感じたこと。


すべての外来語を中国語にしていしまう。


サッカーを足蹴(ずーちう)、パソコンを電脳(でぃあんなお)


和製英語のように、中華製英語にしてしまわず


すべて漢字にしてしまう。。そんなところも、しっかり


この自国の文化へのこだわり度を見て取れます。


日本は、いい意味でもしっかりそのまま外来の物を

輸入できるのですが。。


いわゆる、中国の洋務運動も、基本を中国として

良い物欧米の物を補助という形で取り入れるとして

やってきた。


そういったモノが、文明開化を遅らせたのではと

私は思います。


そういった構造ゆえに、、


更に広大の国土、人口ゆえに、なかなかまとまらなかった。



中国の近代。。


近代史を読んでいて、


辛亥革命を起こした、孫文はガンで死んだのだが。。


歴史にもしもはないが、


もし孫文が生きていたら、中国はおそらくその時に


国民党でまとまっていたのかとも思う。


おそらく中国国民党の一党独裁のままだったのではと。


つづく。。