お父さんに手を合わせて、その後
居間に戻り、お父さんの最後の様子について
聞いたりしていた。
夕方の7時くらいに、aiaiの携帯にお父さんの
友達から電話があった。
近所のいつもの立ち飲み屋で
お父さんをしのぶ会をしているけど、こないかと。
お父さんが大事にしていた、友達たち。
この立ち飲みやにあつまる、お父さんの
飲み友達とは、私も5年来の付き合いである。
お父さんが上海に私を見定めにやってきたとき
このたち飲み屋の話をしておられ、娘の婿に
なる人を、ここにつれていって、みんなに
お披露目したいと、常々言っておられた。
その飲み友達達とは、長い人で40年来
短くても17年来という、まさにこの下町で
おとうさんと一緒に、飲みながら生きてきた
人たちである。
お父さんがすごく大事にした仲間達である。
ある意味、お父さんの聖域のような場所。
この場所に、常々
娘と、娘婿とその子供つれてくることが
お父さんの夢のひとつでもあったらしく
5年前から、私もaiaiも帰国のたびに足を
はこばさせてもらっているのである。
もちろん翔世も生後5ヶ月から、ココに来て
夜眠くなったら、立ち飲み屋の下駄箱のところに
ふとんをひいて、ねかせてもらっていたくらい。
私が、NYに行く前、帰ってきたとき、結婚届けを
役所に届けたとき、結婚式を終えて、その他
帰国のたびに必ずここにはよせてもらっていた。
お父さんとaiaiと一緒に。。
そんな人情あふれる、大阪の下町の
おっちゃんたちと、いつもお父さんは一緒にいた。
その中の、仲のいい友人からの電話でのお誘いであった。
というか、お誘いではなくて、明日の通夜の打ち合わせ
の連絡であったのだが、
電話を切る最後に、冗談で飲んでるけど来るか?
というその程度であったのだが、
aiaiと、私であの場所で、今日お父さんが亡くなった
この日にお父さんが不在のなか、私達が
あそこにいくことが、お父さんを見送るという
いいことなのではないかと思い、
お母さんも行ってあげてと、言ってくれました。
私も、aiaiもコートを着て、準備をはじめて
お父さんの枕もとのお酒を、手にして
ちょっと、お父さん言ってくるねと言って、
いつもの立ち飲みやにでかけた。
もし、上からお父さんがこの光景をみていたら
おいおい、俺も連れて行けよといっただろう。
aiaiと2人で、手をつながながら、近所の立ち飲みや
へ向かう。
aiaiが生まれ育った、下町の住宅抜けて、
ふとすれ違う自転車にのった、おっちゃんが
お父さんに見えるようで。。
お父さんをしのぶ会に向けて、立ち飲み屋へ