12月1日の朝4時半、いつものように海岸線を走り、豆乳を豆から引いて
会社にいく準備をしていた。
いつもは朝7時に家をでるので、ちょっと遅れ気味であった。
トイレに入ろうとしたら、携帯電話が鳴って、aiaiからだった。
aiaiのお父さんが今朝方亡くなったと。
私は驚いた。
つい昨夜、aiaiとの電話でお父さんのお見舞いに行って
元気そうにはっきりした声で、大丈夫だからと言っていたと
聞いたばかり。
私も今月中のどこかの週末に帰国し、お父さんには一時外泊してもらって
お見舞いに伺おうとしていた矢先。
aiaiも来来週くらいでいいのではと言っていた、次の日の朝のことだったから。
会社に行くバスに遅れると思いあせりながら電話をとったので
電話をおいても、そのあせりがそのまま残っており
まだネクタイをしめて会社に行こうとしている自分に
おちつけ、おちつけといい気かせ。。
まず会社の総務の社員に電話して、すぐに大阪への
フライトを手配してもらった。
お昼の飛行機が取れるはずだと思い、とりあえず会社の幹部社員に
急遽することを伝え、上海の本部の上司にも連絡。
おちついて、緊急帰国申請をメールで流し、本当は週末から天津北京に行く予定で
日本からメイスイ姉さんが遊びに来る予定であったが、そのあたりも全部電話でキャンセル。
作りかけの豆乳を飲んで、茶碗を粗い、洗濯機まで回して、干すところまで。。
少しずつ落ち着きを取り戻し、また総務の社員から電話がり
フライトの予約が完了したと。。。
12時20分のフライトで、すぐに空港に向かった。
飛行機を待つ間、飛行機に乗っている間もずっと
aiaiのお父さんのことを思い出していた。
体が悪いということは知っていた、すい臓がんである。
末期であったため、長生きはできないとは知っていたが
まさかこんなに早く亡くなるとは。。。
aiaiのお父さんとのはじめてお会いになったのは
2005年の1月の上海。。。
その2ヶ月前に、私がaiaiにプロポーズをして
その話を聞いた、お父さんが、うちの一人娘と結婚する
相手とは、いったいどんなやつなんだと
上海に乗り込んでこられたのである。
まだ上海へ留学したての私、日本の仕事もやめたばかりで
無職で学生身分でありお金も持っていない私、
その後まだアメリカに行こうとしているそんな私を
快く認めてくれた心の大きなお父さんだった。
冬の上海で、お酒を飲みながら寒い中
鼻水をたらしながら、aiaiを頼むと言ってくれたおとうさん。
そんな事を、思い出すと涙がでてくる。。
飛行機は定刻どおりに大連空港を離陸した。。
つづく。。。