忘れも無しない2003年12月29日、
仕事納めの日に、私は直属の上司に
会社を辞めることを告げたのである。
しかも、半年後の2004年の7月いっぱいまでと
付け加えて。
何もそんなに早く伝えなくても良かったのですが、
どうして2004年の7月まで辞めるのを待ったのかと
いうと、車のローンが終わる頃であること、そして夏の
ボーナス後だったからです。
半年前に会社を辞めることを告げたのも、中国へ
行くぞという、自分への追い込みである。
そうしないと、やっぱ会社に残ろうかななど、邪念が
入り、結局辞めることが出来ないのではという
状況になりそうだったので、そうならないようにと
周りに宣言しての追い込みだった。
この頃はaiaiと東京で再会する半年前で、でも
時々電話で、近況を報告しておりました。
ken『俺、中国へ行こうと思う。中国人の彼女がいて。。。。』
aiai『いいんじゃない、そういうところがkenらしいね。。。。』
二人のこんな会話を今二人でパソコンの前で思い出していて
まさか結婚するなんて思わなかったねとaiaiがつぶやいております。
それから半年間、仕事のモチベーションを維持するのが半分、
中国へ行くというモチベーションが半分でそのバランスをとるのが
大変だった。
しかし中国へのモチベーションは上海に住む王小姐への電話で
維持できた。上海へ通う交通費!国際電話代!
いくらかかっただろうか。
年を越して2004年。春がやってくる頃、私は上海に留学するために
中国語を勉強する学校を決めないといけなかった。
学校は上海戯劇学院。何のことは無い、決めた理由は
王小姐の住むアパートの一番近くの学校だった。
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