二人の出会いから5
上海から帰国後の自分は取り付かれたように
彼女に電話をした
まだその頃は、会社を辞めて中国に行こうと
決めたわけではなかったが、
何か、熱くたぎるものがあったのだ。
自分がどうしたいかとか、よくわからなかったが
あがけば、何か答えが出るかもと。
そんな中、彼女への電話が、
自分の中国へのモチベーションを保てる、
唯一の手段だったのかもしれない。
電話をかけだして、最初の頃、彼女の反応は
冷たかった。こちらのアプローチもあっさり
かわす、というものだった。
でもあきらめなかった。
ほとんどスト-カーである。
電話を続けて、1ヵ月後、彼女は言った。
『KEN、あなたよくがんばったよ、あなたえらいよ、
付き合ってあげる』
高飛車なものいいであったが、うれしかった。
それから私は、休暇が取れると上海へ行き、
彼女に会った。
彼女を通してリアルな中国を感じることが
多くあった。
彼女は、上海のとある路地裏の老房子(らおふぁんず)
という、上海の昔ながらの古いアパートに住んでいた。
彼女は上海人ではなく、正確には蘇州人であった。
私が何度か中国を訪れた間に、3回くらいはアパートが
変わっただろうか?
当時私は、中国語も話せず、右も左もわからないので
そのアパートがどこに位置していたかもはっきり、わからな
かったが、最近は上海に行くと時々、そのときの見たような
風景を思い出す。路地裏を見ると、
『あれってこのあたりだったんじゃないかあ』とか。
多くは冬に訪れていたので、すごく寒いイメージがある。
その寒いなか、路地裏のあるアパートの風景が
今でも時々思い出される。
古い、古い洋風建築がたくさん立ち並ぶ、路地裏は
ある種、上海の独特の風景。
私は古い上海は知らないけど、何かイメージとしては
上海の昭和というそんなレトロイメージがある。
そのアパートに入って、暗い暗い階段を上がる。
ぐるぐると階段をあがっていく踊り場ごとで
住民が食事の支度をしている。
基本的にキッチン、お風呂は住民の同じフロアー
の人は共用である。
部屋は1家族1部屋で、彼女の部屋大きなベッドと
机と、鏡があるだけの殺風景な部屋だった。
広さにして10畳くらいはあっただろうか。
大きな部屋である。
家賃は1ヶ月800元(13000円)である。
上海では相当安いのではないだろうか。
上海では外地から出てくる人が多いので、
このようなアパートがたくさんある。
でも今はすごい勢いでこのような老房子
が取り壊されていっている。
私は、上海に行くたびに彼女のアパートに
転がり込んだ。
当時の私は、1人じゃ何にもできなかった。
中国語を話したいと思った。
話せるだけで、いろんな可能性が広がると思った。
その頃から中国語に興味を持ち始めた。
2003年の秋である。。
昨日上海出張から天津に戻ってきました。
3週連続上海はきつかった。
しばらくは天津でゆっくりできそう。by ken
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