「アートな夜!」第24回は、白隠慧鶴の特集です。

 

 

 

 

Wikipedeiaより。

白隠 慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日貞享2年12月25日) - 1769年1月18日明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期禅僧である。は神機独妙禅師、正宗国師。

 

駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて見性体験するも増長して、信濃長野県飯山正受老人(道鏡慧端)にあなぐら禅坊主と厳しく指弾され、その指導を受けて修行を続け、老婆に箒で叩き回されて次の階梯の悟りを得る。のちに禅修行のやり過ぎで禅病となるも、白幽子という仙人より「内観の秘法」を授かって回復した[1]。その白幽子の机上には只『中庸』『老子』『金剛般若経』のみが置かれていたという。更に修行を進め、42歳の時にコオロギの声を聴いて仏法の悟りを完成した。

この経験から禅を行うと起こる禅病を治す治療法を考案し、多くの若い修行僧を救った。 「内観の秘法」は気功でいう気海丹田式の功法に相当するものであり、またこれは天台小止観と同じとも言っている。 他にも「軟酥の法[1]」を教授している。

また他の宗門を兼ねて修道すべきではないと戒めている。これは他の宗門を排除するためではなく、それぞれの宗門を修めることがそれぞれに成道することに繋がると捉えているからである。 浄土門は浄土門として認め、真正念仏の人という話もしている。 また妙法蓮華の話もしている。

地元に帰って布教を続け、曹洞宗黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させた。

現在も、臨済宗十四派は全て白隠を中興としているため、彼の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦する。

現在、墓は原の松蔭寺にあって、県指定史跡となり、彼の描いた禅画も多数保存されている。

 

 

 

「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた。 現在も、臨済宗十四派は全て白隠を中興としているため、彼の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦する。

 

 

 

 

☆「布袋吹於福」

 

 

 

 

☆「忠置字」

 

 

☆「龍杖拂子」

 

 

本日の一幅、「鐘馗図」