「アートな夜!」第23回は、大正ロマンを代表する画家、

 

誰もが知る 美人画で有名な 竹久夢二の特集です!!

 

 

 

 

 

☆Wikipediaより。

 

数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた[1]大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。

彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれ(軸物屏風仕立てで遺る)、また、洋画キャンバス油彩)技法による女性像や風景画ものこされている。好んでさまざまな表現形式を試みたが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆人気というかたちで脚光を浴びたのであった。一時は中央画壇への憧れもあったようだが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した。

世の動きとしてみた場合、当時の画壇では様々な芸術思潮が交錯し、ある意味で胎動期の不定のさなかである。都市における大衆文化の開花による消費生活の拡大を背景とした、新しい応用美術としてのデザインというものの黎明の時代であり、夢二もこれに着目した。生涯の後期にいたっては、彼の図案家としての才能の実績において、生活と結びついた美術を目指し、あるいは産業と融合すべきとの理念を持ち、むしろ積極的に、商業美術(のちにいわれるグラフィック・デザイン)の概念を描いていたようである。榛名山産業美術研究所の構想や、先進地である欧米視察への願望がこのことを裏付けている。

21世紀に入っても画集、詩文集、童話が様々な装丁で刊行されたり、夢二作品を専門に所蔵する美術館(後述)以外でも展示会が開かれたり[2]している。

また2017年には、従来知られていなかった作品『投扇興』(屏風絵)が発見された[3]

 

1884年、明治17年 岡山県邑久郡に 代々酒造業を営む家に次男として生まれる。兄が前年に亡くなっていたため、事実上の長男として育てられる。

 

 

 

  • 神戸の叔父宅に寄宿しつつ兵庫県神戸尋常中学校(後の神戸一中、現在の兵庫県立神戸高等学校)に入学するが、12月には家の都合で中退。
 
 
 
 
 
 
  • 友人であった荒畑寒村の紹介で平民社発行の『直言』にコマ絵が掲載される。これは最初に印刷に附された夢二の絵であった。この後、『光』、日刊『平民新聞』に諷刺画などの絵を掲載し、社会主義者らとの親交も深めた。同年6月、『中学世界』に『筒井筒』が第一賞入選、このとき、初めて夢二を名乗る。早稲田実業学校専攻科中退。
 
 
 
 
 
☆秦テルヲ/野長瀬晩花/竹久夢二
 
 
 
 

千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」

会期:2018年5月19日(土)- 7月1日(日)

 
 
 
 
 
 
本日の一枚
☆「ある黄昏の幻想」 夢二には珍しい屏風絵だそう。