『アートな夜!』第11回は、「川村清雄」の作品が紹介されました。

 

Wikipediaより。

川村 清雄(かわむら きよお、嘉永5年4月26日1852年6月13日) - 昭和9年(1934年5月16日)は、明治期の洋画家。幼名は庄五郎、諱は修寛(ながひろ)、通称清兵衛、号に時童。明治洋画の先駆者のひとり。近代日本絵画が洋画日本画に分かれていく最中にあって、両者を折衷し、ヴェネツィアなどで学んだ堅実な油画技術をもって、日本画的な画題や表現で和風の油画を描く独特の画風を示した。 

 

 

 

 

江戸麹町表二番町法眼坂上において、御庭番の家系で御徒頭を勤める川村帰元修正の長男として生まれる。

 

 

7歳の時住吉派の絵師住吉内記に入門。2年後祖父の大坂東奉行就任に伴い大阪に赴き、南画家田能村直入に教えを受ける。

 

 

文久3年(1863年)英学留学のため開成所に通い、その画学局で高橋由一川上冬崖宮本三平から西洋画法を学ぶ。

 

 

 

明治元年(1868年徳川家達の奥詰として使え(いわゆる将軍御学友)、翌年家達に従い静岡へ移住する。

 

 

大久保一翁、勝海舟らの斡旋により、明治4年(1871年)3月、徳川宗家給費生として清雄ほか5人で渡米する。

 

 

 

明治6年(1873年パリへ転じ、アレクサンドル・カバネルの弟子・オラース・ド・カリアス(Horace de Callias)等に学び、アカデミズムの歴史画制作の有様とその思想を吸収して行ったと思われる。この年、明治政府は海外留学生の一斉帰国を命じたが、川村は私費留学生として残る。また翌年頃に、ヴィル=ダヴレーに住むカミーユ・コローを訪問したとも言われ、後の清雄の風景画にその影響を見ることが出来る。

 

 

 

 

本日の一幅は、「ヴェネツィア風景」

 

 

 

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