2024・4・1   晴れ…快晴

西武北野台のKクラブからの依頼でお話会に出向きました。

地元のお話をということで、演目を選んでみました。

 

この西武北野台が造成を始めたのは60年近く前のことです。

多摩丘陵の森林は、造成のため切り倒され、谷戸はどんどん

埋め立てられていきました。開発の名のもとに多摩の横山は

変貌していきました。

造成地には、戸建ての瀟洒な家々が立ち並び、人々が住み

着きました。ほとんどが都心に通うサラリーマンです。

 

今は、高齢化率40パーセントを楽に超える高齢者が住民です。

私の住んでいるところとほとんど条件は同じです。

唯一自慢出来るのは。住民の学ぼうとする意欲と、行動力です。

この北野台は、自主防災組織や、民生委員を中心とした住民

福祉は、八王子市をリードしていると思います。

 

高齢者の学びのクラブとして立ち上がったところからの依頼です。

しっかりしたお話を届けたいと思いました。

地元の昔話は、地元の人に聞いてもらうのが一番必要と

思っている私にとっては、またとない機会です。

 

何を選ぼうか迷いましたが、北野台・中山・由木地区には、沢山の話が

残されていました。

次から次と、聞いていただきたい話がでてきました。

選ぶのが大変でしたが、4つの話を選びました。

一つ目

団地の中に、白山神社という立派な神社があります。

参道の入り口は、中山から入りますが、長ーい石段がお宮まで続いています。

団地の人たちは、石段を上ることは無いでしょう。

なぜなら団地の中に神社が立っているのですから、わざわざ石段を

上る必要がないのです。

 

霧の仏塔

とんとんむかし

由木領の中山村には、まぼろしの大寺があったそうじゃ。

沢山の堂宇が建ち並び中で、金色の立派な仏塔があったと

言われておる。

 

ところが、いつのころからか、「びゃく」にあって、消えてしまった

が、この大寺のことは、「風土記」などにも、記されておらんか

ったのじゃ。

「びゃく」というのは(おおつえ)のことで、山崩れのことじゃ。

その大寺がどこにあったのかというと、白山の宮の一帯だと

いわれておるが、誰も定かには知らんかった。

 

里の衆の話じゃと、夕霧の美しく立ち込めるとき、輝く映える

仏塔が、霧の中に、浮き出てくるというのじゃ。

「それはみごとなものじゃ」

「尊いばかりの美しさよ‥‥言葉にできんほどじゃ」

と噂されていた。

 

噂を聞いてご支配の殿様が霧の仏塔をご覧になろうと、出張

って来られた。

ところが、霧の出るよい折にめぐり合いながら、一度も金色の

仏塔を見られんかったそうじゃ。

 

「わしらに見えるのに、殿様に見えんとはのう・・・・」

と、里の衆は気の毒がっておったということじゃ。

                           へえしまい

 

白山神社の社殿周辺から、江戸時代の文政9年(1826)以来、

数回にわたって経筒が出土されました。

法華経などが書き写されたもので経巻の奥書に、仁平4年

(1154)甲戌と記されてありました。平安時代の末期です。 

 

法華経を奉納したのは、比叡山西塔の僧で、有名な武蔵坊弁慶の

血縁であった修験僧の弁智でした。

法華経の布教を広げるため、当時熱心に活動していたようです。

東国七社へ奉納した中の一社が、中山の長隆寺であったようです。

 

白山神社本殿の背後に、長隆寺という、天台宗寺院の

伽藍があったことが証明されたのです。

現在は、八王子市内最古の寺であったことが認められて

います。

 

この辺一帯は船木田荘と呼ばれ、小野氏、横山氏が統治し

ていたようです。

藤原摂関家の荘園として寄進し、事実上の支配を、地方豪族の

横山氏がしていたようです。

国府の公権力に対抗する意味もあって、横山氏を開基として

長隆寺が創建され、その後、白山神社が勧請されたということです。

 

1590年、八王子城が落城した時、寺、神社も焼失してしまいます。

慶長18年(1613)以降、数度に渡り再建、改修されていますが、

長隆寺は再建されなかったということです。

白山神社の再建には願主、木曽村(現町田市)覚円坊の僧頼長権大僧都と

大旦那伊藤九郎左衛門により再建されています。

里の衆の記憶の中で、まぼろしの寺として生き残ってきたということです。

 

この昔話に出会ったとき、正史を超える力が、昔話には

あるのだということを知り、感動したことを思い出します。

 

境内には、この謂れを書いた立派な石碑が建っています。

碑文を書いたのは、明治大正と、八王子の男子教育に熱心だった

奥津雁江です。

奥津雁江翁のことを知りたくて、調べているとき、白山神社の境内で

この石碑を見つけたとき、小躍りしました。以後雁江翁の資料が次々

見つかって、人物伝承をまとめることが出来ました。

白山神社は私にとって、たいせつbな場所となりました。

今年も、沢山の桜が神社境内を彩るのも、もうすぐでしょう。

                             つづき