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「とげぬき地蔵」の名で知られる高岩寺は、豊臣時代末期、慶長元(1596)年に僧・扶獄太助(ふがくたいじょ)が神田明神下の湯島に創建したのが始まりと伝わり、その後、現在の台東区内の下谷(したや)屏風坂に移転、さらに明治24(1891)年に区画整備のため現在地へ移り今に至っています。

江戸時代中期、7代将軍・徳川家継の治世であった正徳3(1713)年、江戸小石川に住む田付又四郎の妻が出産後に瀕死の病気にかかったところ、又四郎の夢枕に妻が日頃から篤く信仰する地蔵菩薩が現われました。そのお告げに従い、夢から覚めた時に枕元にあった木片の地蔵菩薩の御影を印にして1万体の御影を作り、懸命に祈願しながら両国橋から隅田川にこの御影を浮かべると、やがて妻の病気は全快したそうです。
その話を聞いた毛利家に出入りする僧・西順が御影2枚を譲り受け、針を誤飲して苦しむ女中にそのうちの1枚を飲み込ませると、御影に針が刺さって吐き出すことが出来たことから、「とげぬき地蔵」と呼ばれるようになったのだとか。
ちなみに現在、御影は本堂で授与されていて、様々な病気治癒にご利益があるとして高齢者を中心に信仰を集めています。

※境内にある解説板を大変参考にさせて頂きました。