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大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争の開戦前から終戦にかけて、昭和天皇が語った内容が記録された日記が見つかったということで、新聞をはじめとする多くのマスコミに取り上げられ、私も興味があり掲載誌を購入しました。

他のアジア諸国の代表が訪日しても決して謝罪の言葉を口にしなかった昭和天皇が、中国に対してだけは謝罪の意識が強かったのだそうですね。
昭和53(1978)年10月に来日した鄧小平副首相(当時)に、日中外交当局と宮内庁とで事前に確認されていた「簡単なあいさつ程度で過去に触れない」という了解事項に反し、「我が国はお国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です。こうしたことは再びあってはならないが、過去のことは過去のこととして、これからの親交を続けていきましょう」と述べたのだとか。
鄧小平氏は、予期せぬ昭和天皇の言葉に感動した様子だったといいます。
(当時同席していた入江相政侍従長の談話。毎日新聞・岩見隆夫氏のコラム『近聞遠見』より)

中国以外の国は、当時は宣戦布告した相手(アメリカ・イギリス・オランダ等)の植民地であり、結果としては迷惑をかけたとはいえ、交戦国との戦場となったという意味では、国として外交的に謝罪する必要はない。しかし、中国に関しては、自身の意思と違い、軍部の独走で戦争状態になってしまった、そのことに対する思いが強かったのだと考えられています。
このことを知って以来、私は昭和天皇という存在に、強い関心を持つようになりました。

何故でしょう、私は今回の日記を読んで、何度となく涙しそうになってしまいました。
きっと私が、旧時代の遺物であり、年寄りになったことも加わって、単に涙もろくなってしまったというだけなのでしょうね。
そしてやはり何故か、最近の金属盗難事件が続発する、今の「この国」を思い嘆かわしく感じてしまいました。特に、公園に設置された滑り台等の子供の遊具まで盗まれたという報道を目にした時の、例えようのない悲しさ・情けなさを思い出していたのです。
私は、どうも冷静に「あの時代」を論じることが出来なくなってきたように、自身について感じます。
かつての陸軍記念日の今日、私の中に去来したほんの雑感です。

※画像は、空襲で焼け野原となった東京を視察する昭和天皇。不思議と私は、昭和天皇というとこの写真が頭から離れません。