前回更新が2019年8月15日だから、約1年前。

それから何があったのかな、ポツポツありました。

 

2019年8月、愛車LAPINで、フェリー利用で九州を旅しました。


 

2020年1月、またキハ183に会いに、乗りに、#知床 を再訪、#留辺蘂 にも行きました。

 

2020年2月、ここ半年くらい気になっていた #佐田岬 に行きました。

たまたま知った、宇和島方面の #法華津峠 がよかったなぁ。

 

そして先月5月末、緊急事態宣言解除を受け、信越方面へ。

テレビで知った #高ボッチ高原、そして魚沼のおにぎりが目的。

#龍ヶ窪 と #子安温泉 がよかったです。

宿泊は、#浅間温泉。のんびり出来ました。

 

こんな感じ。

新型コロナウイルスの関係で、私が現在勤務する会社とその業界も大打撃。

日頃は色々思うことが多々ありますが、こんな大変な状況の中、休業補償その他雇用を確保してくれている会社には、今回心から感謝。

 

「寅さん」と周りから言われることが増えましたが、相変わらずこうしてうろうろすることが、数少ない私の楽しみです。そのために働いている、生きているといっても過言ではないかも。

まだ安心出来ない現状ですが、一刻も早い収束を願っています。

先月の信越方面への旅も、不特定多数の方との濃厚接触を避け、ほとんどが一人きり。

今もご苦労頂いている医療関係者の方々はじめ、物流や購買、そして行政その他、懸命に社会を支えて下さっている皆さんに感謝し、旅するにしても、先月のように人混みに入らず極力一人のみの形を維持する等、少しでもご迷惑にならないように注意したいと思います。

 

安心して「ごく普通の生活」を過ごすことが出来る、そのありふれた日常の有り難さ・大切さを改めて感じさせられている、最近です。

前回更新が2017年8月1日だから、2年前。

それから何があったのかな、色々ありました。

2017年8月、愛車LAPINで信州へ。途中、SAで台風に追い抜かれました。

もう何度目になるのだろう、そんな上高地ながら初めて河童橋を越え、途中お猿さんの集団と遭遇しながら、明神池まで。「上高地へ行くなら明神まで行かなきゃ」と会社上司に言われた意味が分かった気がしました。

帰路、馬籠・妻籠、岩村城跡にも立ち寄ることが出来てよかったです。

 

9月には、やはりLAPINで能登半島を駆け足一周。

ずっと行きたかった七尾城跡に登城出来、やっとまた一つ宿題を完了。

 

年が変わり2018年。

私が国鉄時代に初めて特急列車というものを見たキハ82系、その流れをキハ181系を経て正統な後継者として受け継ぐ最後の気動車(ディーゼル)特急車両だと私が個人的に感じ、現役車両の中で一番好きなキハ183系。毎年会いに、乗りに北海道へ行っているのですが、2018年も行くことが出来ました。特急「北斗」として最後の運用期。

 

2月、LAPINで四国一周。行き残していた室戸・足摺の両岬と安芸、そして沈下橋(潜水橋)を。

 

5月は、前回久し振りに釧路駅を経由した際に、国鉄時代の道内主要駅の雰囲気が残る佇まいが気になり、「夜の風景」を中心に、釧路駅を見たくなって再び北海道へ。

痛々しいキハ183の姿に、もうゆっくりさせてあげたいような、でも少しでも長くまだ頑張って欲しいような。彼が引退してしまったら、もしかすると私が北海道へ旅することはもうなくなってしまうかも知れないから。

 

7月は、初めての立山黒部アルペンルートを。

また一つ、個人的宿題完了。

 

8月、加速度的に認知症が進む母親に少しでも「回復の刺激」になればと、そしてもしかしたらこれが最期になるかも知れないとの思いで、もう何年振りだろう、母の故郷へ。

今、思い返すとよくぞ決断して連れて行っておいたな、と。

私も、小学生の時以来だろうか、神楽を見ることが出来、胸が熱くなりました。

 

9月。居住する大阪で「勇壮な」、つまりは一歩間違えれば「祭りの時ぐらい大目に見ろ」「祭りとはこんなもの」「祭りなんだから文句言うな」みたいな傍若無人・粗暴な言動に河内や泉州で何度も遭遇しウンザリ、以来ずっと「祭りバカ」が大嫌いな私ながら、その存在を知ってずっと気になっていた「おわら風の盆」を見に、富山へ。

本来翌日は休日のはずが、台風対応で急遽出勤しなければならなくなり、トンボ返りで深夜戻り、ほとんど徹夜で仕事をしたものだから、人生指折りの「うわっ、オレ死ぬかも」みたいな過労状態に陥りましたが、でも、見に行ってよかった…。

 

10月、紅葉黄葉を訪ねて、信州へ。

「車で行くなら旧道、安房峠越え」との、やはり会社上司の言葉は正解。

またお猿さんにも遭遇しました。

 

12月。年賀状用画像撮影を兼ね、富士方面へ。

山中城跡、よかったです♪

 

2018年のから2019年へかけての年末年始は、もう地獄でした。

認知症の母親が徘徊、行方不明数度、野宿して警察に保護されたり。「姥捨山に実の親を捨てるのではないか」と悩んだりしましたが、ついに施設へ入所させることに。

やっと落ち着き2月、前回で気になった遠軽駅を訪ね北海道へ。

 

4月、3年越しの挑戦・3度目の正直で、大井川鐡道さんの「長距離鈍行列車ツアー」に当選、行ってきました。

「旧客」と呼ばれる古い客車(電車や気動車のように自身だけでは走行出来ず、電気・ディーゼル・蒸気等の機関車に牽引される車両)で同じ区間を3往復、約11時間半ひたすら乗り続けるというもの。さすがに退屈するかな等の心配は杞憂でした、あっという間に終わってしまった感じすら。

かつてのように、列車に長時間揺られながら旅する、もう二度と味わえないだろうと諦めかけていたあの雰囲気を再び感じることが出来、ちょっと涙ぐんでしまいました。

 

5月。熊野古道の有名どころのポイント幾つかを回ってきました。

 

あと、昨秋、星空観賞にちょっと関心が。

亡き父の故郷が愛媛・高知県境の山奥で、19歳の時に見たあの美しい星空のような風景を再び見たい、そう思ったのです。

 

そんな感じで、今。

色々思いつつ、何とか生きています─。

 

 

イメージ 1

“A FUTURE TO BELIEVE IN”
アメリカ大統領選挙の民主党候補者の一人である、バーニー・サンダース上院議員のキャッチフレーズをたまたま写真で知り、英語が大の苦手(何しろ大学入試の際の偏差値が国語と世界史の70前後に対し、英語は30台)な私ながら日本語に訳してみて、単に「未来を信じる」というより、「アメリカの希望ある未来を信じる」といった、前向きで能動的なニュアンスを多分に含んだものであるらしいと知り、68歳のヒラリー・クリントン氏より74歳のサンダース氏の方がアメリカの若者たちの支持を大きく受けている理由が自分なりにちょっと理解出来たような気がして、ケネディ大統領が当時のアメリカ政治に与えた政治的影響に気付いた気がした大学での研究時代以来、久し振りに一人興奮している。
「年寄りが年寄りばかりを相手に行う」ことが多いと強く感じる日本の政治の世界にあっては珍しいとはいえ、小泉進次郎代議士のような若手政治家が若年層向けの発言をするなら、それは普通なことだとも言えよう。だが、74歳のサンダース氏が放つ言葉に、多くのアメリカの若者が熱い思いを感じ、強い共感を覚え、熱心な支持を集めているのだ。
この、クリントン氏よりサンダース氏の方が若年層の強い共感を呼んでいることの意味を、日本は、特に日本の政治家は、もう少し真剣に考えるべきではないかと私はずっと主張している。しかし、18歳選挙権が施行されるにもかかわらず、若年世代の低投票率を見越してか、ほとんどの既存政治家は相変わらず「票の固い」年配層はじめ企業や業界・宗教などの各種団体の方ばかりを見ているように思えてならない。もしくは、奨学金問題等への「見せかけ」だけのパフォーマンス。
よく見かける「若者に阿る」のではなく、どうしてサンダース氏のように、若い彼ら彼女らの側を向いて熱く語らないのだろうか? 何故なら若者が希望を描き難い社会に、未来への活力は生まれ難いのだから…。

※画像は、バーニー・サンダース氏の大統領選挙Facebookページから

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

間もなく見れなくなる恐れのあるものや惜別を兼ねて、今年初めの北海道を中心に、相変わらずウロウロしています。
最近は、春に母親を連れて旅へ出るのが恒例に。いえ、随分年老いてきたので、「見たい」という風景を見せに、自身への言い訳に親孝行の真似事。昨年は白浜の双子のパンダ、今年は帝都を。来年は富士山の予定。
また、一度訪れたい場所、再会したい人・街など、自分への宿題を少しでも片付けています。最近では、筑後柳川を思い出して行ったり。最近は旅に出る気力が薄くなってきたので、懸命に自身を叱咤激励。旅に出なくなったら、何かが完全に終わってしまう気がするから…。
まだ、何とか大丈夫みたいです。

イメージ 1

イメージ 2

昨年の同時期だったでしょうか、帝都に来て初めて新宿から中央本線を西進した折に甲府駅付近で車窓から見えた姿に、「これは一度訪問しなきゃ」と思っていたお城。

お城の沿革・歴史については、もう面倒くさいので、他のサイトに譲ることにします(苦笑)。
ただ、平成15(2003)年に稲荷櫓が復元されるなど、順次整備が進められており、現在は鉄門(くろがねもん)の復元工事が行われていました。
 
 
 
音楽に疎い私は、夜7時のNHKニュースを見た後、チャンネルがそのままになっていた中で流れてきた「のど自慢大会」の番組から、この曲を初めて知りました。思わず、父の死後は大阪で一人生活している母親に電話。電話の向こうから母は、「風邪をひかないように」と、帝都で一人暮らす私を心配していました。
何時まで経っても、親にとって子供は子供のまま。ずっと親孝行してあげられないままなどころか、心配ばかりかけている自分の親不孝さ加減が身に沁みました。
 
母を歌う曲は多いけれど、男親って、そういう意味では損な存在だなぁ(苦笑)。
大丈夫、私は、2年半前に亡くした父のことも、この歌でちゃんと思い返していました。

イメージ 1

イメージ 2

鉄道旅行好きな人の間では、もしかすると日本一有名な駅蕎麦かも知れません。
私も、その存在を知って以来、ずっと一度は行って食してみたいと念願していました。で、今回のラッセル車見学の旅、慌ただしい日程の中に何とか組み込み、やっと訪問出来ました。

お店は午前9時半~午後4時の営業で毎週水曜日が定休日ながら、高齢のご夫婦で営んでおられるため、時々臨時のお休みがあることも。麺は、音威子府駅近くの畠山製麺さんが製造する蕎麦。甘皮が付いたまま挽いた蕎麦粉を使用しているので色は真っ黒、蕎麦の香りと風味が濃く豊かです。
私が訪問した時は、ご主人が不在で奥さんとお話しながら美味しく頂きました。ネットで話題になるのは有り難いけれど、時々予想外の個人的なことまで記され困惑されることもあるそうです。音威子府そばさんに対してだけに限らず、皆さん、お互いに注意しましょうね。

お歳のこともあるので、ご無理なさらない程度に、これからもお元気で少しでも長く続けて欲しい。
美味しいお蕎麦と優しいお人柄に心身共に温かになり、急ぎ名寄行きディーゼル車一両編成の普通列車に飛び乗ると折り返し、音威子府をあとにしました。

※画像はお店の様子と、今回私が頂いた天ぷらそば。
イメージ 2

そう、今回の旅の目的はこれ、ラッセル車を見に行ってきたのです。

以前何度か挑戦して失敗、モーターカーは見たものの、ラッセル車は今年元旦に秋田から大阪へ帰省する寝台特急「日本海」の車窓から敦賀駅構内に停車中のものを目にした程度でした。
車両の老朽化や経費・運用の問題等もあって、全国でラッセル車は年々廃車が進み、どんどん少なくなってしまっています。降雪の具合も関係する中、現在では毎日運行するのは冬季の北海道、稚内─旭川の宗谷本線と網走─旭川(正確には新旭川)の石北本線のみ。毎年熱心に足を運ぶマニアもおられるようですが、貧しい私には経済的にも時間的にもそんな余裕はありません。
そんな中、なよろサンピラーユースホステルさんが「ラッセル車見学ツアー」を実施しておられるのをネットで知りました。これなら、私のような初心者でも何とかラッセル車を見ることが出来そうです。先月予約、あとは天候に恵まれることを祈るだけ。そして先週3日、その日を迎えました。

貯まったマイレージを使い、帝都から空路、新千歳空港へ。そこからJRに乗り継いで旭川に到着、迎えの車に合流してスタートです。
先ずは、宗谷本線で単線用のラッセル車を狙います。

イメージ 1

積雪のピークは過ぎており、激しく雪をかき分けるいわゆる「雪跳ね」はないので、大型のカメラを構える他のマニアからすれば物足りない様子でしたが、動くラッセル車を見るのが初めてな私は、一人小さなコンデジ(=コンパクトデジカメ)を構え、これでも充分満足しておりました。

さて、続いては石北本線。こちらは複線用のラッセル車が運行しています。
冒頭の画像がそれで、「後追い」、つまり通過した後姿を撮ったものながら、正面から撮ったものよりハッキリと判るので冒頭にご紹介したという訳。
そして場所を移し最後に撮影したものが3枚目のこちら。

イメージ 3

他の人が大型の一眼レフで連写可能なのに対し、私は一瞬の1枚のみに全てを賭けなければなりません。
そんな中、「うわぁ、これ上手に撮れましたね!」と皆から言っていただけたから、悪くはなさそう。もちろん、私は大満足です。
あと何年「彼ら」が活躍出来るかは分かりませんが、これまでの功績に感謝し、そしてこれからの少しでも長い貢献に期待したいと思います。
私同様、熱心なマニアやオタクではないけれどラッセル車を見たいというかたは、来シーズン、なよろサンピラーユースホステルさんのツアーがお薦めですよ!