フィレンツェでの決意② | Ajaのブログ

フィレンツェでの決意②

※2011年3月半ばにイタリアを旅したときのことを書いています。


私がイタリアを訪れていた期間は、
2011年3月5日から3月14日。

そう、私は2011.3.11をイタリアのフィレンツェで迎えた。


2011.3.11
散歩の後、宿に戻ると受付のお兄さんに声を掛けられる。
『あや、君の家族は日本の何処にすんでいるの?
みんな大丈夫なのかい?』

よく意味がわからず、そのまま受付付近でインターネットをしていると、
東京にいる友人がTwitterで
『6時間かけて歩いて会社から帰宅』
などとツイートしているのを見ても、まだ、ダイエットか何かかと思って深く気にとめないまま、部屋に戻った。

私がフィレンツェで泊まった宿は、地球の歩き方などにも載っている所だったらしく、女性用の八人部屋のうち、その日は六人が日本人だった。

部屋に戻ると、一人の女の子がスカイプをしながら号泣していた。
『お母さんと連絡が取れない。他の避難所に確認に行って欲しい』
『大学の仲間、何人死んだんだろう』
『私だけイタリアに居るなんて、これ以上、旅なんて出来ない』

その子の様子を見て、ようやくただ事じゃ無い何かを感じ、ネットニュースを検索した…

地震…津波…



東北で起きて、東京にまで大きな影響を及ぼす災害が起きた…



その日、同じ部屋に泊まっていたうち、私以外の5人の日本人はみんな東北出身だった。


福島の山奥から来ている子は、すぐに家族と連絡を取れたようだったが、
スカイプをしながら泣いていた子は、仙台大学の学生で、家も海から近いと言っていた。

帰国しても家が壊れてしまったから、
もう少しイタリアに居なさいと言われている子もいた。



怖かった。

初めて、家族と離れていることに不安をおぼえた。

私が日本に居ない間に、身近な人が苦しみ、亡くなる事もあるという事。

知っていたけど、

海外にいると日本では感じた事の無い身の危険や不安を感じる事もあったりして、
家族と離れている間に自分が傷つかないように、命を落とさないように、
そっちの方が強く思っていた。


嫌だった。

私だけここにいて、家族や友人が苦しんでいるのは嫌だった。


どんどん不安になるので、
震災のニュースなどはそれ以降見ないようにした。
帰国すればわかる。
いま、どちらにしても、何も出来ない…



私はフィレンツェで、

『大切な人を置いて、一人旅はしない』

と、決めた。

フィレンツェ3

フィレンツェ

駅

食堂

食堂2