遠い昔、私の就職試験シーズンが始まる頃、ゼミの非常勤の先生が、「君たち、うちの会社受けてくれよ!面接で会うのを楽しみにしてるよ」と仰ったので、私含め数名「はーい受けます〜」と素直に試験に行きました。文系でも理系でもない芸術分野の大学なので、当時バブルがはじけていたものの、まだ企業に就職するより有名デザイン事務所かフリーだよね、という空気でした。数週間後、その先生は苦笑して現れ、「君たち、筆記がひどすぎだよ、、、。全然難しくないだろう、あれは、、、」と軽蔑の眼差しで我々のマヌケな顔を凝視していました。SPlという存在を知らないデザインバカな我々はキョトンとして、ま、別にいっか、行きたいわけじゃなし、、、と一瞬でその出来事は忘却の彼方に。(賢い友人は一人しれっとパスして入社しましたが、誰もそれがすごいとは思ってなかった。)しかし私の仕事もいつしか芸術系から理工系になっていき、死ぬほど勉強するハメになり、人生はやはりどっかで必ず勉強するんだわ、と思う今日この頃です。子供達の中学受験の勉強が日を追うごとにダメダメな様相を示していたにもかかわらず続けたのは、この恥ずかしい経験を将来繰り返して欲しくなかったから、とも言えます。最近、子供の学校で某大学受験予備校の講演会がありました。「複雑化する大学入試へ向けての保護者の心構え」がテーマで、ものすごい情報の嵐でお腹いっぱいになりました。が、その中で印象に残ったのは某グローバル企業の入社試験で出されたという問題でした。お店の利益を計算する問題ですが、四則計算ができれば答えらえるものの、文章を論理的に読んで数学的に判断すると、「不採用」。日本人には多いパターンで消費者と投資家に向くが、グローバル企業の経営陣にはなれないそうです。優先的に「採用」の回答は、どうしたら儲けられたか、という問いを追加して計算して出されたものでした。つまり規定条件の中で最適な解を導くのではなく、積極的に条件を追加してものごとを考えるアグレッシブな態度を持っているか、が評価のポイントということなんでしょうね。結局のところ求められる素養って日々目先の勉強だけ追っていては培われないと再認識しました。講演会で中学時代に意識してほしいことのトップは「中学生活を楽しむ・充実させること」でしたが、まさにその環境作りの一員として、我々の素養も試されているのでしょう。