以前に同じ作家のアルケミストという本を読んで、とても感動した。これは、アルケミスト程ではなかったけど、面白かった。ベロニカは恵まれた知性と容姿を持っているのに、自殺することにしてしまった。確かにベロニカの様に、幸せでもなく不幸せでもない状態は本当に自殺率を上げてしまう。


自殺率が高いのは大体先進国。物に恵まれて、食いっぱぐれることもなく、戦場のような過酷な状況にはなく、毎日を淡々と過ごすことが出来るこの状況は、時に自殺を招いてしまう。逆に、お金もなくて、食べ物もなくて、子供3人に食わせていかなくてはいけないような、過酷な状況下では、生きることで精一杯で、自殺なんて考えている暇がない。


We are a problem solving creature. 私たちのインテリジェンスは何かという問いに、問題を解決する力と答えた場合、私たちのインテリジェンスを使うためには問題が必要になってしまう。だから、これといって問題のない幸せなような、幸せでないような状況は、私たちが生きていくことに疑問を感じてしまうのかもしれない。


でも、このベロニカは助かって、第二の人生のチャンスをもらうが、その期間は5日間。自殺を図った後遺症で心臓がダメージを受けて5日間しか生きられないと宣告される。でもこれは主治医のマッドサイエンティストの罠。本当はダメージなんてないのに、この精神科医の実験台にされてしまう~。現代では、倫理上こんなことは絶対に起こらないはずだけど・・・


マッド・サイエンティストといえば、大分昔に見たドイツ映画「es」。これは、昔スタンフォード大学で実際にあった、心理学の実験を元にした話。一般の応募者から被験者を20人選んで、10人は看守、10人は囚人に仕立てて、擬似刑務所で囚人と看守の生活をする。本来、看守も囚人も普通の人なわけだから、最初は看守は囚人に、囚人らしい扱いはしないのに、時がたつと共に、囚人は囚人らしく、看守は看守らしく行動しだしてしまって、最終的には、看守が暴走したので実験中止になってしまったという話。


人間は擬似リアリティーにはまりやすい・・・これは、とっても怖いこと。でも、逆にもしこれを良い方向に使うことが出来たら、もしかしたら人生もっと楽しいかもしれない?!


もし日常生活で、「私は頭も良くないし、きれいでもないし、太ってるし」と毎日考えていたら、これが本当であれなんであれ、自分の擬似リアリティーを作り上げてるわけで、自信もなくなるし毎日もつまらなくなるけど、「私は、才能にあふれていてなんだって出来るんだ」という自分のリアリティーを作れば、自信もついて毎日楽しくなるかもしれない!


でも、これをやり過ぎると、たまにいるアメリカン・アイドルの応募者みたいに、相当音痴でも「私は次のアメリカン・アイドルになるの!!」と120%の自信で確信しちゃうのかもしれないな・・・・。あの根拠のない自信は本当はどこからくるのか・・・・ちょっと不思議。






2-老人と海

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この本を読んで、ひとつ思い出したことが・・・


昔ボストンに住んで頃に、ハーバード大学の教授に英語のプライベートレッスンを受けていたときの事。

教授は今思うとかなりご高齢。白髪に口ひげを生やし、身なりのきちんとした絵に描いたような教授。ボストン市内の閑静な住宅街に、そんなにファンシーではなかったけど素敵なお家に住んでいてた。週に一度先生のお家に行くと、必ず最初に「今日も素敵ですね」と、紳士な言葉をかけてくれて、何故かいつもキッチンに通されて、木製のダイニングテーブルに座ると、私の好きなアール・グレーを入れてくれた。たっぷりのミルクと砂糖でそれは濃厚な味(これは教授好み)。


キッチンはゆったりとしていて、きれいに磨かれた、少々地味目な食器がきちんと食器棚に入っていた。今時のモダンな雰囲気ではないけど、カントリースタイルで何だかとっても落ち着く空間。


その日は、教授が週末にお買い物に行った話しをした。教授は「あるお店で、とても素敵なシルバー食器のセットを見つけたんだよ。本当に素晴らしくてとても欲しかったけど、考えた末、やはり買わないことにした。」と、ゆっくり紅茶を飲みながら話し出した。私はつかさず「何故買わなかったのですか?」と聞いた。教授は別に価格のことを気にして買わなかったわけではないと分かっていたから、尚のこと何故欲しいものを買わなかったのかが私には不思議だった。教授は「このキッチンは、今統一が取れているんだよ。もし、ピカピカのシルバーセットがここにあったら、その統一がなくなってしまうでしょ」と、ニコッと笑って、また紅茶を一口飲んだ。私は心の中で密かに「私だったら、欲しいものだったら絶対買うけどな」と、思った。


あの時は18歳でその意味が良く分からなかったけど、今思うと、等身大でいることの大切さなのではないかなと思う。


「羊たちの沈黙」でも、若いクラリスが初めてハンニバル・レクターに会ったときに、「高価なバックを持ち、安物の靴を履いた田舎娘」と初っ端分析されたのは、そこに調和の美がなかったからなのではないのかな・・・


自分の持つべきもの以上の物を懇願して、それを手に入れたとしても、自分の他のものと比べた時、そこに統一の取れた美しさがなければ、それはスタイルが良いとはいえないということなのでは・・・?自分が等身大でいるときに、その美しさが一番輝くとしたら、等身大の自分を受け入れることこそが、時には最高の結果をもたらすのかもしれない・・・。


もし、この本の老人が大きなボートと設備を兼ね備えた上で、巨大なカジキマグロを釣っていれば、せっかく苦労して手に入れたカジキマグロをさめの餌にすることはなかったのに、自分の許容外のものを手に入れてしまった末に、この結果に適切に対処する器がなかったために、岸に戻るころにはその努力は水の泡になってしまった・・・。


毎日の生活で、本来自分のあるべき姿以上のことを装ったり、身に着けたりすることはよくある。自分のエゴに勝つのはやはり大変。そして、決してこれが悪いこととも思わない。でも、長い人生の中で、たまには、等身大の自分でいることを率直に受け入れることがあってもいいのではないのかな~。調和の取れた美しさを考えるからこその、最高の結果があることを忘れてはいけないのではないのかと、なんとなく思ったりしている。







ハワイのビーチで是非ゆっくり読みたかった1冊!

上下巻で2冊になるから、わざわざこんなに重いものを持って行く必要はなかったのでは・・・?とも思ったけど、やっぱり読んでしまいたかったこの欲望にはかなわなかった!おかげさまで、昼間ビーチにいるときに一冊、その次の夜にもう一冊、2日間で読んでしまいました~。お陰で寝不足に。

かわいそうなアンドリューは「なおこはハワイでハリーと浮気している」と、ちょっといじけ気味。

でも、その後は彼とハワイを満喫しました~!!



Harry Potter