仙山線運用の455系は青と白のカラーリングとなった。塗色変更にはいろいろ意見もあると思うけど455系の場合は褪色など原色の疲労感を考えると有効なものだった。ステンレスの車両が大半になった今よりはるかにバリエーションに富んでいた。権限を委譲された各支社が競うように塗色の変更を行ったものだ。
ちょうど東北本線で待っていたら間合い運用なのか運用変更なのか仙山線用の編成がやってきた。
仙山線運用の455系は青と白のカラーリングとなった。塗色変更にはいろいろ意見もあると思うけど455系の場合は褪色など原色の疲労感を考えると有効なものだった。ステンレスの車両が大半になった今よりはるかにバリエーションに富んでいた。権限を委譲された各支社が競うように塗色の変更を行ったものだ。
ちょうど東北本線で待っていたら間合い運用なのか運用変更なのか仙山線用の編成がやってきた。
季節が違うのはご容赦を。
旧型客車を置換えるべく投入された701系。設計思想は10年程度もてばいいという理由で安価。時代の流れが速いので長期間は使わない、その代わり安く、ということ。だった。
「だった」と書いたのはそれが今でも使われていること。初期車では車齢がもう30年を超えている。当初の設計思想はいかに?
新製間もない頃に梅の花とともに写した。場所は今でも覚えている。
車体の反射がすごかった。ステンレスの電車とはこういうものかと。それ以来ステンレスの電車を写す際には露出に気を遣う。時代の変化は写し方まで変えてしまった。
仙台と山形を結んでいる路線。奥羽山脈を越えていくので県境を挟んで勾配がきつい区間がある。そこはまた雪が深いところでもある。温暖化で今は少なくなったがナナハチが活躍していた頃はそれなりに積もった。
強い寒気がやってくると宮城側にも雪が飛ばされてくる。うっすらと白くなったところを昼間の重連が走る。何度か通えてよかったという思いとまたあの場所で三脚を立ててみたいという気持ちが混ざり合った1枚である。
少し地味な形式なのかも知れない。
板谷峠のヌシとなればもう少し車体の大きいEF71が思い浮かぶ。磐越西線で重連で活躍していたのがED77だし、自分でも最初のうちはED78という形式があることを知らなかったのである。
EF71とともに板谷峠で活躍したのち晩年は仙山線での貨物運用に就いていた。ED78は旅客会社であるJR東日本に所属していたが貨物列車を牽引していた。JR東日本が所有する線路上を貨物列車を牽いていたわけである。
写真は日中時間帯に走っていたコンテナ貨物の1853列車。思い立つと自宅から30分でこのポイントに来れる。季節感のあるいい場所だったけどしばらくして1853列車はトラックに移行してダイヤがなくなった。重連牽引での線路使用料支払いルールがJR貨物には重く、それゆえ廃止されたようだ。今では山形自動車道をコンテナ3個積載したトラックとよく出会う。これだけ運転手を必要とし、軽油をばら撒くことが本当にいいのか疑問だ。といっても鉄道輸送に戻すことなどあり得ないが。そんなことをたらたら考えさせる1枚である。
陸羽西線でC11が運転された際、酒田港まで行ったカマは転向することなく逆向きで新庄に戻る。途中の酒田で転車する時間がなかったのか理由は不明。
まあタンク機で現役時代も逆向きを苦にしないので特に違和感はない。勾配のない庄内平野を淡々と走ってきた姿を余目で写した。残念だったのは曇天。煙が同化してしまい目立たなかった。
他にはない雰囲気があるせいか「客車」は夜も写してみたくなる写材だ。ブルートレインと呼ばれた固定編成の寝台特急を始めとして、かつての50系でももちろん旧型でも写欲が沸く。
前日アップしたように旧客がC11に牽かれて陸西に入線した時に写したものだ。帰り際に回送列車に追いついた。入場してバルブで撮影。結構な人だったけど何とか避けながら写した思い出がある。
ぎりぎりホームにかかった客車と信号機の組み合わせはよかった。それなりのムードが出ている。しかし100点ではない。観察力がある読者の方ならもうお気づきのことだろう。回送なので客室灯が点いていない。自分はそれがわかっているので何とも言えない写真ということで。
人気のある旧客の中で、さらに時代を感じさせる車両がスハフ32だ。自分も旧型客車の現役時代を知る世代であり数々の形式に乗車したことがあるが、スハ32、スハフ32に乗った記憶があるのは磐越西線だった。C11を写すためだったか会津若松から喜多方までこれに揺られたことがある。
気分的におもしろい。通常の「広窓」だとクロスシートの対面の乗客と同じものを眺めていることになるが、32系だと自分の世界になれるのだ。窓側の座席だと完全に自分のものだ。これでDD51に牽かれたら最高。そもそも牽引機としてはJR東ではELが既になくDE10か蒸機しかない訳だ。昔に戻ったというべきか。
写真はまだ赤帯を蒔いていた頃のもの。