yesterday once more

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東北発。コレクションと旅日記です。

 昨今の情勢から「コメ」というと敏感に反応されるだろう。去年の値上がりの印象が強かった。食品だけでなくモノの値段が上がってもしょうがないと半ば聞き流すことが多かった。数が多すぎていちいち気に留めていられない。それでもコメに敏感に反応したのはやはり日本人だからだろう。

 暮らしている東北地方は米どころであり食糧供給基地だ。こちらでも農家の高齢化、担い手不足が社会問題化して久しい。農家出身の若い人であっても昭和の時代は土日なく、嫁は舅姑に仕えて自分のやりたいことなど諦める単なる労働力でしかなかった。天候によるリスクも大きく労力をかけてつくったコメも5kg2,000円では誰も後を継がない。そもそも嫁など来なくなった。どうせならとうきょうへ行って楽しく暮らした方がいい。コメはその字のとおり八十八たびの手がかかる。収穫したら全量農協に出せ、選挙は自民党だというじいちゃんの言う事など聞けるかという若い人の言い分もあるだろう。今後は増産に向かうという政策だが果たしてどうだろうか?

わが東北も中山間地が各所にあり効率化を阻む。あのTOKIOの福島でのコメ作りがそれを物語る。アメリカのような大平原で機械をガラガラ回して一気に収穫するようなコスト競争では絶対に勝てない。皮肉なことに東京電力福島第一原子力発電所の事故後、買い手がつかず、外食産業に買いたたかれた福島のコメも集荷業者が求めるというからそれはそれでいい事なのだろうか。

 自分も田園地帯で撮影する機会が多いけど、現場に行くとそういうことをいろいろ考えてしまう。あくまで消費者の立場だけど生産者の方々はどういう思いなのだろうかと。テレビの取材に対しては「余り値段が上がるとコメ離れが進んでしまうのが心配。」と消費者の立場にも理解してくれているが消費者はどうか? ただ安ければいい、安いのが当然のことと思っていなかったか?

空気のような存在だったコメや農家を意識したことは意義ある事だろう。それも単に美談にすることなく考え続けていくしかない。

 とんでもなく前置きが長くなったが、写真は宮城県角田市の田園地帯を走る阿武隈急行。今年もあと1か月で稲刈りを迎える。

遅まきながら農家の方々への感謝の気持ちを持たなければ、と思いつつ。

 

 

 

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 鉄道趣味のカテゴリーに「廃線マニア」がある。廃線跡をたどって写真を撮ったりするものだ。今やネット上では全国の廃線跡の情報がアップされている。身近なところで東北本線にもある。

 利府から北上して「山線」が松島を経由して今の愛宕駅の下を潜り品井沼に抜けていたことはよく知られている。当時、将来を見越して利府までの「ヒゲ線」を残したと思われる。

その愛宕と品井沼の間にトンネルが残され道路になっている。町道だから松島町が引き取ったのだろう。トンネルは当時の面影を残している。

 よく言われることだけど単線の廃線跡は使い勝手が悪い。整地して道路にしても1車線しか取れない。よくサイクリングロードになっているのはそのためだ。ここも普通車でのすれ違いができない。交通量は少ないがトンネルを通行しているクルマのヘッドライトを認識すると対向車はトンネルの外で待つ習慣になっている。

 実際に通ってみると内部はほぼ当時のままだ。蒸気機関車のススも残っている。内壁に割と新しいステンレスの配管があるのはケーブルテレビのようだ。品井沼側までエリアになっているのだろう。それよりも夏は涼しくていい。

 煉瓦のトンネルが健在で歴史の勉強にもなる。近い方はぜひ一度通り抜けを楽しんでいただきたい。

 

 

 

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 特に東北地方の交流区間では標準形となる形式が確立しなかった。昭和の時代の客車列車からの体質改善が遅れ、普通列車は新幹線開業で余剰となった455系と583系からの改造車であった715系が運用に就いたが決定打となるには至らなかった。各県の県庁所在地への輸送を考えると、青森、盛岡、秋田、仙台、山形、福島に共通した2扉では乗降のネックになったからである。その後701系が投入され、「大は小を兼ねる」ロングシートでは必ずしも居住性がよくなかった。また417系では直流設備が不要なのと2扉では足りず、717系は改造車ゆえの寿命が問題になりいずれも標準化には至らなかった。

 仙台空港アクセス線に投入されたSAT721系が南3県の運用を大きく変えた。3扉セミクロスという形態が仙台、山形、福島、郡山に合ったのだろう。今ではすっかり定着している。デザインもよく701系のような安っぽさはない。(あちこちで併結運用はあるけど。)こんな電車で通勤通学できるとは羨ましい。しばらくは東北の中堅としてがんばってもらいたい。

 

 

 

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 「ズーム流し」の練習。直線コースではなくカーブでカメラを振りながらズームを引く。おまけにカメラを傾けた。自分にとって難易度はかなり高い。少なくともズーミングと流しをシンクロさせなければならない。シャッター速度は1/15.

 半日粘って何とか見られる成果がこの絵。うん、まだまだトライアルが必要だ。決まればキレイだけどハイリスク。練習するには列車本数の多いところがいい。またやろうとモチベーションは高い。

 

 

 

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 公式のプレスではないが地元に説明があったようだ。公知のとおり陸羽西線は運休中。これが再開通した段階で両駅を通年通過とするということ。同線の営業成績も厳しいものがあるのでこのような施策に出たのだろう。

JR北海道は駅の廃止を進めているが、東日本は手続き的にまず通年通過させるというプロセスを踏んでいる。感情論的ではあるが地元の反発を和らげようとしているものと思われる。

 写真は羽前前波駅。撮影の際に立ち寄ったことがあるが、ここは田んぼの中でポツンと一軒家のように駅がある。少し行かないと集落がない。確かに休止は妥当だろう。それでも陸西には乗降客数として同レベルの駅が連続しており、そちらはどうなのかという疑問がある。

 ところでこの路線の再開通については触れられていない。どうなることか。

 

 

 

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 左沢線も地味な路線。臨時列車でも入らないと誰も写しに行かない「通な路線」だ。

ここは最上川橋梁。羽前長崎と南寒河江の間にある。以前にも触れたことがあるけど、この橋梁は山形鉄道のフラワー長井線にある橋梁と双子なのだそうだ。両方とも東海道線の木曽川橋梁を移設したという。重厚長大のものをなぜ移設したのか疑問な点もある。列車を入れるとややごちゃついた印象になるので難しいがそれ自体美しい橋だ。

訪れた時にはちょうど夏雲が浮いていた。山形も暑いところ。見学や撮影の後にはうまい蕎麦や冷やしラーメンを楽しみたい。

 

 

 

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 左沢線の左沢で折返しを待つC11。暑い夏の陽に照らされた熱そうなカマ。蒸気を吹き上げてゆったりと発車の時を待つ。現役時代を想わせるこういう絵が好きだ。

 実はこの駅はだいぶ前に都市計画の関係で少しだけ移転している。蒸気機関車時代もC11であり構内の外れで転車していたのであろう。ローカル線にはC11が似合う。蒸気機関車現役時代の末期には旅客列車にDCが導入された後にも蒸機が牽く客車列車が少数運用されていた。ここ左沢線でも夜の下りと朝の上りにC11牽引の客車8両編成の列車があった。もともと山形市への通勤通学者が多かったのである。久方ぶりに入線した蒸機にそんなことを思い出した。C11325が東武に移った以上JRはの貸し出しはむずかしそうだ。あの日夢を見てよかったのかも知れない。

 

 

 

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 いろいろありながら世の中が進歩している。

自分が小さい頃の家族旅行。金を出す親が渋かったこともあって鉄道旅行は当時の急行列車もしくは普通列車の利用が多かった。時代が大きく変わった今では信じられないことだと思うけど、車両に冷房がない。天井で扇風機が回っていたとは想像できないと思う。しょうがないので窓を開ける。幾分涼しい風が入ってくる。進行方向の窓際に座らせてもらうともろに風圧を感じる。それが当たり前だった。鉄道とは違った話で町の食堂に入り、扇風機が回る中で大汗をかきながら熱い中華そばを食べた思い出がある。そういう時代だったのである。

 盛夏にフラワー長井線を訪ねた。置賜盆地も暑いところ。それでも車両は冷房つき。少年時代を思い出した。酷暑の太陽に焼かれながら単行のディーゼルが走る。冷房が付いているものの雰囲気があの日の旅を思い起こされる。いろいろありながらも豊かな時代になったのだと実感した。

 

 

 

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