こんばんは、会津人です。
今日は寒いですね。。。
体調だけには気をつけないと。


さて、今日は前回に引き続いて仏教をテーマに書きたいと思います。
前回はお釈迦様が出家された 話までしたと思います。
今日はその続きから。


出家したお釈迦様が最初にしたことは「苦行」でした。
人間が苦難を乗り越えるためには苦行をするのが一番だと考え、いろいろな修行を積みました。
最終的には人間の根本的な欲望である、「煩悩」をたつためには断食が最もいい手段であるという
当時の師の教えに従って断食をします。

しかし断食をすることに対し疑問をもったお釈迦様は断食の修行を途中でやめてしまいます。
断食修行をやめたお釈迦様は、ここでもう一度考え直します。
そして思索を重ねていくうちに、この世はなぜ苦しみで満ちているのか、その理由を知るには何が一番
大切なのか、ということに気づきます。
これを「悟り」といっていいと思います。


お釈迦様が気づいたのは、人間が苦しむのは「執着」するからだということです。
人間はあらゆることに執着します。前回述べた四苦八苦ですら、長く生きたい、病気にかかりたくないと執着
することから生じているということに気づいたのです。


お釈迦様はさらに一歩踏み込んで執着することがなぜ苦しみになるのかを考えました。

執着が苦しみを生むのはこの世のものがすべて無常だからです。これを「諸行無常」といいます。
諸行とはすべての現象と実体といっていいでしょう、この世のあらゆるものはどんなに立派なものでも
必ず滅びていきます。
それはどう考えても真理であり、永遠に存在するものなどないのにも関わらず、それがまるで永遠に
存在するかのように錯覚して守ろうとしたり、続けようとしたり、執着するから我々人間は苦しむのだということです。


したがって一番大切なことは諸行は無常であるということを確実に認識するということです。
それがお釈迦さまの教えの中核であり、それを「悟り」と呼んだわけです。

こう書くと簡単なように思われますが、世の中は思っていてもそれを実行に移すのは難しいと思います。
たとえばビジネスの世界で、株でもうけるためには安いときに買って高いときに売ればいい。これは誰がやっても
おなじ真理です。

実に簡単なことです。
しかし実際にはこれで大金持ちになった人はほんの一握りしかいません。
それを行うことは難しいのです。

お釈迦様は、この世のものは無常であるのにも関わらず人間はそうではないと思いたがる、そこに苦しみが
生じるのだということです。


逆にそうした無常を悟ってしまえば、人間が本来持つ煩悩に惑わされたりすることもなくなるということです。
美人をものにしたいと思っていても、なかなかうまくいかない。もしその人をものにしたとしてもまた嫉妬心や逃げられたらどうしようなどと別な苦しみや不安が沸いてきます。しかしその人の美しさが永遠に続くのではないと悟ってしまえば、そもそも執着して得ようとすることもなくなるわけですから人間は救われるというのがお釈迦様の教えです。


さて、今回は「悟り」についてざっと書かせていただきました。
お釈迦様すげーって感じですが、悟りは今の時代どうなんでしょうね?
みんなが悟りをひらいてしまったら世の中の進歩がなくなる気がしますが・・・w
でもこうやってお釈迦様の考えに触れるのは面白いので、次も仏教をテーマに書きたいと思います。
それでは