神谷万丈・防衛大教授

 

ロシアによるウクライナでの非道な行為は今も続いている。国連人権高等弁務官事務所によれば、今年6月末までにウクライナで死亡が確認された民間人は9177人、負傷者は1万5993人にのぼり、実際の死傷者数はこれを大きく上回るとみられている。

ロシアの暴挙を前に、日本はこの侵略をひとごととしてとらえるのではなく、今や世界はルールに基づく国際秩序が保てるかどうかの瀬戸際にあるという危機意識の下で、国際社会によるウクライナ支援を積極的に主導してきた。

日本の「異例」の決断も

ただし一つの例外がある。ウクライナがロシアと戦うために何よりも必要としている武器に関しては、防衛装備移転3原則や自衛隊法等が足かせとなって日本は援助を行えずにいるのだ。ウクライナ政府からの要請はあった。報道によれば、侵略開始の翌日の昨年2月25日には既にウクライナから日本に支援を求める物資のリストが送られており、そこには小銃の弾薬や対戦車砲等の殺傷能力のある防衛装備が含まれていた。

これに対し日本政府は3月4日に防弾チョッキやヘルメット等を供与する決定で応えた。だが戦闘が続いている国に防衛装備品を提供する異例の決断をわずか1週間で下したにもかかわらず、国際社会には批判も少なくなかった。「ウクライナはこんなひどい目に遭っているのに、なぜ日本は武器を支援しないんだ。普通の国とはいえない。価値の判断もできない国なのか」。日本経済新聞によれば欧州のある国の外交官は日本の外務省幹部にこう述べたという。

日本が第二次大戦後、平和主義を基調とする対外姿勢をとってきたことは知られている。だが同様の境遇にあったドイツはロシアの侵攻が「時代の転換点」(ショルツ首相)となったとしてウクライナに武器を支援する。戦車レオパルト2の供与にも踏み切った。ドイツにできることをなぜ日本はしないのか。日本は平和国家だからだ、では答えにはならない。

防衛装備移転3原則を巡り

この状況を変えようとする動きが日本の政治にようやく現れ始めたことは好ましい。防衛装備品の輸出規制緩和について協議する自民・公明両与党の作業部会は7月5日に「論点整理」をまとめ、その中で装備品の輸出対象国としてウクライナを念頭に侵略を受けている国を加えることを提唱し、殺傷能力のある装備品についても防衛装備移転3原則で輸出が認められている救難、輸送、警戒、監視、掃海の5類型に該当すれば可能ではないかとの意見の一致をみたことを明記した。日本が本格的な対ウクライナ軍事支援を行える国になるためには大きな前進だ。

だが問題も残る。報道によれば、5類型の今後を巡りウクライナのみならず他国との安全保障協力を推進するために撤廃を望む自民党と、類型の追加にとどめるべきだとする公明党の間には溝がある。その他の点も含め、自民側が公明側の慎重姿勢に配慮した結果、今回は「論点整理」のとりまとめにとどまり、武器輸出に関する制約の除去についての結論は秋以降の議論に持ち越された。武器輸出のような政治的に機微な問題について慎重論はあってしかるべきだ。だが気になるのは、公明党が慎重論の理由として、「平和の党」としての歩みを強調していることだ。

確かに平和を大切に思う者は、軍事力の利用については慎重であるべきだろう。だがその慎重さは、個々の状況における平和のための軍事力の必要性についての吟味に向けられるべきものだ。平和と軍事を百八十度、正反対の概念とみるのは間違っているからだ。軍事力は平和を破壊する道具ともなる危険なものだが、それを必要に応じて使わなければ平和を守ることはできないのが現実だ。

真に平和を大切に思うなら

今ウクライナが置かれているのは十分な軍事力がなければ侵略者により平和が蹂躙(じゅうりん)されてしまうという究極的な状況なのだ。真の意味で平和を大切に思う者は、このような国に、軍事的慎重論ではなく「平和のための軍事力の役割」を認識して支援を行うべきだ。ショルツ独首相による対ウクライナ積極支援の背景にあったのはこうした判断だろう。公明党にも同様な判断の下で、日本の対ウクライナ軍事支援を難しくしている制度や法の枠組みを変えることに前向きに取り組むことを望みたい。

7月に入って発表されたNHKと共同通信の世論調査では、殺傷能力のある武器の輸出について反対がともに6割を超えた。日本人の平和のための軍事力の役割についての認識は、ロシアの侵略に対するウクライナ人の抵抗をみて急速に高まってきたが、その理解にはまだ不十分なところがある。これらの数字はそのことを如実に物語っている。軍事力への慎重さを保ちつつ、平和のために必要とされる時にはそれを「用いる」勇気を併せ持つ。自公両与党、さらには心ある野党の政治家には、そうした方向への国民の意識変革を主導する役割を期待したい。(かみや またけ)産経新聞