愛染恭介のやぶからぼう日記 -32ページ目

強制もしないが、矯正もしない、語り部の会

子供のころ、
ごはんは左手に「はし」を持って食べていました。
でも、皆(兄弟、幼稚園のともだち)と違うというのに気付いて、
直さなければ、と自主的に右手を使えるように、箸を持ち替えました。
今でもボールを投げるときだけ、サウスポー。
ギターもサウスポーだったら凄かったのかも・・・(言い訳)
小学生のころ、
スキップというものが、できないドンくさい子供でした。
先生に何故?か、「スキップもできないの!?」と、
一時間教室でスキップの特訓を受け、
教室中をひたすら、一時間飛び続けているうちに、
ようやくスキップを習得。でもクラスメートが見守る中の、この屈辱。
スキップしながら「キープ、スキップ、ネヴァーギブアップ!」と私がシャウトし、
クラス中が「キープ、スキップ、ネヴァーギブアップ!」と連呼しました。
(後半はフィクションです)

歩く、という行為は世界共通と思われていますが、
日本では明治維新まで「なんば」というすり足歩行だったそうです。
なんば、は右足がでるときは右半身が前に、左足がでるときは左半身が前に出る、
だから走るときは右足をだしたとき、右手も同時にななめ前方に出しているのです(絵巻物参照)。
明治維新後に、ヨーロッパの軍隊歩行を取り入れるべく、なんば歩きは禁止されるように
なったと。だから、時代劇で、現代人と同じ歩き方をしているのは嘘ということになります。

ずいぶんと色々矯正させられてきたんだね~
きみやわたしは。
でも、矯正させられても、矯正できない習性を持った輩というものが、
集って、言葉を発するよ(と、わたしは勝手に思っている)!
明日!!

「語り部の会」
11/3(木)祝日

相模大野アコパ(アコースティックパフォーマンスコレクション)
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/
神奈川県相模原市南区旭町8-22 北里ビル3F
Tel  042-705-2181    Fax  042-705-2335
相模大野駅より徒歩12分 相模大野駅伊勢丹側方向へ出て
行幸道路を小田急相模原方向(西)へ直進。
東京ガス斜め向かい 釜飯屋さんが1階に入っているビルの3階にあります。
地図はこちらのURLから。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/02_information/information.html

16時開場 17時開演
800円+オーダー

出演者
楼茶 金鶏堂 愛染恭介
ばびろん佐藤 宮本匡
いしはらとしひろ Monchika

詩の朗読?シャウトのみ?語る?
私にはいまだ、なにが出来るのかわかっておらず。
何も語らないってのもありかも。
でもぜーったい!絶対面白いから(絶対?)来てみなよ!

語り部の会、お知らせ

無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。
「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果ですー内田 樹

なあるほど、確かに子供の頃親に、先生に、説教されそうに
なった瞬間から耳のスイッチオフにしていました。
「あー聞こえてない、聞こえてない」っていう、あれです。
「真実は嫌い」という著名人もいました。真実がなにかという探求は
置いておいて、真実は「好き」か「嫌い」で語る世の中かもしれません。
原発情報を必至に流す人を、その情報を確かめる以前に「嫌い」って言う人がいてもおかしくない。
ガン告知もいらない。
脳内にある楽園こそが真実かもしれないしね。
猫が寝ているあいだに見ている夢の時間こそが真実かもしれないし。
しかし、それをどこまで保とうとするのか。
それこそが、ひたむきな努力のありようかも。
思考停止になるよう、私たちは訓練されてきたのだな。
皆が頑なに守ってきた絶対的領域っていうのが、
3・11の地震でぶち壊されたはずなんだけど。
絶対の絶対は絶対である!が、無くなっちゃった!
それでも、また人は絶対を築きあげようとしているように見える。
もうちょっといい加減になろうよ。
そうしたら、見えないようにしていた人や事が見えるようになるかもしれないしさ。
自然界もきまぐれなんだから。

そして、いい加減な私に「ギター持たないで参加してください」という
実にいい加減でブラボー!な企画に呼んで頂きました。


「語り部の会」
11/3(木)祝日

相模大野アコパ(アコースティックパフォーマンスコレクション)
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/
神奈川県相模原市南区旭町8-22 北里ビル3F
Tel  042-705-2181    Fax  042-705-2335
相模大野駅より徒歩12分 相模大野駅伊勢丹側方向へ出て
行幸道路を小田急相模原方向(西)へ直進。
東京ガス斜め向かい 釜飯屋さんが1階に入っているビルの3階にあります。
地図はこちらのURLから。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/acoper/02_information/information.html

16時開場 17時開演
800円+オーダー

出演者
楼茶 金鶏堂 愛染恭介
ばびろん佐藤 宮本匡
いしはらとしひろ Monchika

詩の朗読?シャウトのみ?語る?
私にはいまだ、なにが出来るのかわかっておらず。
何も語らないってのもありかも。
でもぜーったい!絶対面白いから(絶対?)来てみなよ!

ほいきた②奈良

愛染恭介のやぶからぼう日記

ライブ会場となった「迫川尚子写真展」開催中のギャラリー「きょうばて」
の様子。
なにがすごいって奈良の地で、
新宿~ベルクを取材した報道番組の上映会を催したり、
迫川尚子の写真展を企画したり、無名の愛染恭介を呼んでくれたり
のイラストレーター5*seasonさんのバイタリティー。
色々なところに関わり、怒るときは怒り、
どこまでも責任感強く、ご自身の創作活動も忙しく、一体手が何本あるのか、
一部では5*さんのことを仏像界のアイドル阿修羅の化身ではないかと囁かれて
いるとかいないとか。
ギャラリー・きょうばては地名「京終」をそのままつけたもの。終を「ばて」と
読むとは知らず、ここが奈良町のはてるところか。
日頃の行いが良いので、この日はどしゃ降りの雨。そして町のイベント。
と重なり、会場はアットホームな感じでのライブとなりました。
とは云え、たっぷり楽しくやらせて頂きました。呼んでくれてほんとありがとう!
来て頂いた奈良町の方々、5*さんとの繋がりある皆さんは
ひとくせもふたくせもある濃い方々ばかり。ライブ前も終了後も皆さんと
話して飲んで演奏してまた飲んで~で宴は夜中一時まで続きました!
話はならまちのことから原発の話まで~お疲れさまでした。
そしてCDも買って頂いてありがとう。

$愛染恭介のやぶからぼう日記

ならまちは京都のようにあまり観光地化されておらず、
町はしっとりしていて美しい。泊まらせて頂いたゲストハウスも、ぎゃらりーも
古い町家や長屋を改造したところ、お店もそんなところが多い。
奈良は「書」の発祥地、「酒」の発祥地、カレーが日本に始めて伝わったところ・・・などなど
控えめながらもプライドがある。それでも京都のようにパリのように(行ったことない・・・)
どうだ!みたいなものはない、ひっそりと歴史をしょって凛とする、佇まい。
奈良町は一昔花街。散髪して風呂に入って、芸姑・舞妓さんに会いに行く
というコースだったようで、今でも床屋、銭湯、置屋だった建物が多い。
その奈良の地に、飲食店や雑貨屋などお店が出来始めたのはここ10年くらいだという。
奈良で産まれ育った人もいれば、5*さんのようによそから移ってきた人も多い。
お店のコンセプト・アイデアを募って、採用されれば好条件で店舗を貸し出すという
町あげての面白い町興し企画もあるらしく、活性化が図られている。
町を歩けば、どこでも芋ずる式に知り合いに会って世話を焼かれ、
都会人には最初そんな人情が疎ましくも感じるらしいけれど、住めばみやこ!なのだ。
こんな素敵なところはない!と他所から移ってきた人も、
動かない人が多いみたい。
$愛染恭介のやぶからぼう日記
ライブも終わった翌日、ようやく観光!
奈良初めてなんですよね~なんて、すっかり修学旅行で訪れた記憶を抹消し、のうのうと
のたまわっていた私、東大寺に行って鹿にあってようやく、その記憶が蘇ってきた。
二月堂、ここからの眺めは絶景、夜景が綺麗だというから、今度は夜、夜に来なくちゃ!
でも寺まわりでも面白かったのが興福寺の国宝館。
仏像界のアイドル阿修羅さまをはじめ、仏像好きにはたまらない運慶作のすんごいやつ
(仏像のなまえが出てこない)など圧巻。
東大寺の大仏さまも焼き討ちをはじめ何度も火事にあったり壊されたりして、
一時は頭のない状態で雨ざらしになっていた時代もあって、現在の大仏の顔は
長い歴史の中では比較的新しいのを知っていたから、大仏さんをみてもそれほど感慨はありゃー
せんでした。でもこの国宝館にあった、発掘された7世紀白鳳時代の仏頭は
今まで見た仏さんの顔のなかで最も美しいもので、その場所から離れられんかった。
お土産コーナーで阿修羅Tシャツを買いたい衝動を抑えて次へ。
興福寺~京終までしっとりした奈良町が続く。

その中にある5*さんのギャラリー「五想庵」にお邪魔。
長屋を改築したギャラリーは入口からわくわく感満載。
タロットもやられる5*さんの作品にはタロットをモチーフにしたものも多いそうで、
奈良に移られてからは、奈良のいろいろな逸話をモチーフにしたものが増えて、
解説を聞きながら作品を見ると、「そんな意味がこめられてたのか~」と
見方も変わってくるから面白い。作品とは人や逸話に出会うツールなのだ。

五想庵の裏手にある鎮宅霊符(ちんたくれいふ)神社。
今でも陰陽師の末裔が住んでいるという坂の途中にある神社で、陰陽師ゆかりの場所。
全くやるきのない神社には誰もおらずひっそりしているが、
境内に足を踏み入れるとただならぬ磁場が!
四国の霊場以来の磁場を感じました。

その後ライブあとにギターセッションをしたマスターのいるカレー屋さん「香炉里(こるり)」
でめし、日本酒春鹿の醸造元で利き酒、小川又兵衛(酒屋)で一杯と、
あれ?おれいつ帰るんだっけ?と貴重旅の時間も終焉を迎える夕刻まで
奈良町を堪能しました。あれ?ただの日記になってしもうた。
奈良、またくるよ~やだっていってもまた来るよ~