晩秋にメランコリックな気分になると、突然吟遊詩人を気どり、もみじ

都会に野山の風情を見つければ、即席・なんちゃって俳人と化すあいぞう・・・アラフィフな女・・・。


昨晩の記事の文末に詠んだパクリ以外の何物でも無い句の元ネタを、念のために掲載しよう。


降る雪や 明治は遠く なりにけり雪の結晶


その昔、確実に教科書で学んだ昭和期を代表するホトトギス派の俳人・中村草田男が、昭和初期に詠んだ句である。


いくら「歳のせい」が口癖の私とはいえ、その当時は生まれてもいなければ、その気配する無い時代・・・。

(友人達の中には、「あいぞうって、ペリー来航時の通事やってたんだよねぇ~?」と、からかう輩もいるが・・・私では無い。それは黒柳徹子だという噂がある。)


・・・つまりは、だ!

解説によると・・・降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのまま明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に強まった・・・という思いから詠まれた句とのこと・・・。


今の東京では雪などロクに降りもしないし、都会の喧騒の中、ノスタルジックな想いにかられるような事もさして無い・・・ましてや昔の俳聖のような感性が備わっているワケでも無いが、ついつい何かにつけて感じてしまうのは


昭和は遠くなりにけりもみじ



・・・嗚呼、やはり歳のせいだな・・・(涙汗


通常、能天気で享楽的な私ではあるが、最近コトあるごとに昭和を回顧してしまうことが多い。

そろそろ回顧録の準備でもしなければいけないお年頃・・・なんてコトはまだまだ無いハズだが、コレは一体どうしたこと!DASH!


コトの始まりは、バイト先での会話からだった。


以前も書いたが、バイト先の平均年齢は50歳・・・ドクロ

46歳の私など、まだまだ若造の域だ。(ちょっとウレシイ・・・音譜


宝石赤今春に入社した新人は、この会社での社歴こそ浅いが、世間では既に立派な大局と言われる年齢・・・私と同い年の46歳。

宝石紫そして我が社の最年少は43歳・・・


このままいけば、いずれ近い将来「老人介護施設」と見紛うオフィスになること間違いナシ状態だ。


アラフィフの女×2と、アラフォー後期の女×1名のライチタイム・・・。

テレビドラマで見るような、OLが昼休みに繰り広げる恋だの新しいブーツだのというガールズトークとは、まるで異次元の会話が繰り広げられる・・・。メラメラ


まず、46歳にして新人のS嬢の言葉が発端となる。


「カワイコチャンがいたんだけどね・・・」


いくら同い年とは言え、その突っ込みどころを決して見逃さなかった私・・・。


「それって、死語だよね・・・ドクロ


言った当の本人は、何が死語なのだか瞬時に理解出来ない様子・・・(見た目は若くても、やはりアラフィフ・・・)


「えっ、カワイコチャンて死語かなぁ???」


と言うのだが、

それってネタか?ネタだな??じゃぁ、行かせて頂きましょうか・・・


ところはお江戸日本橋・・・にほど近い日本橋本町にある、とあるオフィスビル・・・

確かにこの界隈は「若者の街」とは言い難いが、こんな風情ある街の一角で、よもや「死語シリーズ」が語られようとは、三越・高島屋の買物客でも想像だにしないだろう・・・。


じゃぁ、死語ってどんなのよ???アップ


そこまで仰るのなら、ラインナップしてみようか・・・


まず、ボイン。これは間違い無く死語・・・昭和の化石だな!ドクロ

今の女子高生とか「ボインちゃん」なんてオヤジたちに言われても、理解出来ないんだろうか・・・。

ということはペチャパイとか、その類似系のナインペッタンとかも当てはまるな!


「じゃぁ、今の言葉だと何ていうのかな・・・巨乳とか貧乳とか・・・か・・・」


そういうことになるか・・・。何ともヒネリも風情も感じられない、つまらん名詞なんだろうね・・・。奥ゆかしさが感じられないし。(じゃぁ、ボインという表現が奥ゆかしいのかと問われれば、それはそれで困る・・・ダウン


調子に乗った私達は他にもアレコレ考えてみた。


旗以前、勤務先で一緒だった昭和42年生まれの女史は、20代の頃から

シミーズ、えもんかけ、ネッカチーフという言葉を3点セットにして常にクチにしていた。

使用法としては・・・オフィスへの来客者の接客の際に

「コートは、そちらのえもんかけをお使いくださいね」

と、のたまわって客をフリーズさせたり、

営業の彼女が外で面識の無い人と待ち合わせをする際に、事前に電話で自らの特徴を話していたのだが

「明日は、首にピンクのネッカチーフを巻いているので・・・」

電話の相手は年下の女性・・・オフィスでその言葉を聞いていた私達同様、相手も相当驚いたに違いない・・・

そのおかしさを指摘すると必ず、

「私、おばあちゃんっこだったから・・・」

と言い訳していたが、それだけが理由とは到底思えない・・・。


世間には「おばあちゃんっこ」なんて五万といるだろうし、家にテレビはあるだろう?学校とかでも普通にクラスメイトと会話をするだろう??

その度に指摘されたりもしてきたハズだな???

やはり、これもある意味ネタだったに違いない・・・。むかっ


旗お次は通訳を生業にしている友人T嬢。

テレビなどにも出演し、逐次もしくはウィスパリング通訳として活躍している彼女にも悩みはあるらしい。

どこでクセがついてしまったのか、「Airport」をついつい「飛行場」と言ってしまいそうになる・・・と言う。正しくは「空港」だ。飛行場って・・・よど号の時代・・・イヤ、もしくはそれ以前の通称だな・・・。飛行機

それと一緒で、「バッグ」を「かばん」、「グラス」を「コップ」と脳内で変換してしまうことがしばしばなんだとか・・・。彼女も昭和の幻影に惑わされている一人のようだ・・・。ねこへび


旗あとは、「ブリっこ」・・・松田聖子のデビュー以来、しばらくはこの単語が教室内を席巻したな・・・


しかしやはり真打ちはアレだ・・・

死語の急先鋒といえば「ナウい」だろう・・・。アップ

産まれたての赤ちゃんから、棺桶に両足を突っ込んでいる老人までもがこの言葉の意味を理解していたと言っても過言では無いほど、日本列島を震撼した言葉だと思う。(それにしては、廃れるのも早かったような気がする)


ここ何年の間でもツイッターなどで「~なう」という言いまわしを使うこともあるようだが、これって「ナウい」から派生した、いわゆる「亜種」なのだろうか?まぁ、ツイッターという短文で表現するための一種の記号のようなモノなんだろうが。



昭和の死語・化石なんかを考え始めちゃうと、止まらないのはアラフィフ世代の特徴だろうか・・・。


とめどなく湧き出ずる泉水の如く、出るわ出るわ~!

もうどうにも止まらない~! 

(今回もBGMは山本リンダ・・・彼女も昭和の遺物ともいえよう)


しかし、死語じゃなくても昭和を語るネタなら、色々な事象があった・・・。

以下の事象を全て覚えていたら・・・その人は私の心の友と言えよう・・・。ラブラブ


クローバー裸足の超特急といえばアベベだし、東京の名花と言えばソ連のチャフラフスカ・・・(ペリーの通事をしていたともっぱらの噂の私だが、東京オリンピックの時はまだ母のお腹の中・・・昭和39年10月10日の空に描かれた五輪の飛行機雲の写真は、いまだに実家にある。当時の自宅は明治神宮のすぐそば、撮影者は妊婦だった母だ)


クローバー昭和45年の大阪万博は、日本中の大半の人たちが見物に出掛けたらしい。高度成長期の象徴的イベントだったし、他に娯楽が少ない時代だったしな・・・。

特に人気のパビリオンだった三菱未来館と住友こども館は、炎天下に2時間以上並んで入場したことを覚えている・・・。晴れ


クローバー昭和47年といえば、日本で初お目見えしたジャイアントパンダ!パンダ従兄弟と共に上野動物園で4時間行列して、パンダ詣ではたったの数分・・・汗行列の最後尾はJR上野駅の不忍口のあたりだった・・・そこから登り坂の間、道の両脇はパンダグッズを売る露天商で溢れていたな・・・欲しいと思っていたパンダのぬいぐるみがナント4000円!昭和47年で4000円~あり得ない・・・客の(特に子供連れの)足元を見ているとしか思えない金額設定だ!私を引率してくれている伯父に無心して良い金額であるワケも無く、涙を呑んでパンダポスターで納得したのを覚えている・・・ポスターでも1000円だった・・・。汗

あの頃、パンダの歌とでも言うのか、パンダのサポーターソングが一世を風靡したのだが、残念ながら私の周囲では誰も覚えていないらしい。

「待っていてね、パンダちゃん!お話したいの!」とかいう、ワリとどうでもいいような内容の歌詞だったのだが・・・サビの部分が「パ~ンダ、パ~ンダ、パンダ!オ~パ~ンダ、パンダ!パンダっていうんだけど・・・判るかな?わかんねぇよな・・・(松鶴屋千歳風)


クローバー昭和49年に突如として日本歌謡界にあらわれたのは、カナダ人の少年歌手ルネ・シマール!男の子ミゲル君(消臭力のCMの男の子)バリの歌唱力と、小公子のような容姿で女子の心を鷲づかみにしたよね・・・。


クローバー戦後20数年も経ってから、ルパング島から小野田さん、グアム島から横井さんが復員してきて、恥ずかしながら、戻って参りました」っていうのが流行語になったっけね・・・。


クローバー現在では演劇派女優として各賞を総ナメにするような大女優・樹木希林・・・

その昔は「悠木千帆」という芸名で、20代のうちから老け役を得意としていた、ワリとどうでも良いタレントだったが、ある時自らの芸名を売って現在の名前になったことを、若い子は知ってるのかな~

彼女は名前を変えてから、郷ひろみとの林檎殺人事件とか、映画への出演とか、引いては一人娘が元木と結婚したりとか・・・結構上り調子の人生のようだが・・・(バカ旦那のバカ騒ぎは除く)やはり改名したお陰なんだろうか・・・。


人間だけじゃなくて動物も流行り廃りがあったよね・・・


クローバーなめ猫ネコ・・・無類の猫好きを誇る私ではあるが、アレだけはちょっと閉口モノだったな・・・動物虐待とは思わないけど、なんか「この世の終わり」的な退廃的な何かを感じてしまった・・・。



◆あいぞうの享楽的日常◆
◆小学生の時に伯父が彼らの写真集をプレゼントしてくれたんだけど・・・

 なんで猫とヤンキーがコラボるわけよ・・・?見ていて身につまされる感じ~


エリマキトカゲとか、ウーパールーパーとか・・・

週刊誌の「あの人たちは今・・・?」の特集にも出てる事があるけど・・・

どれもCMから火がついたみたいだけど、

広告代理店の人のセンスと情報収集力って、やっぱ凄いわ・・・。DASH!


昭和人ならではの感覚だと思うけど、

私はやっぱり

「幸田」といえば「シャーミン」だし、

「千石」といえば「イエス」なワケよ・・・

(今の子は幸田なら來未だし、千石なら仙石元官房長官なんだろうね・・・)



・・・・・・ダメだぁ・・・・止まらない・・・・・メラメラ


昭和40年生まれ、昭和64年1月7日の昭和最後の日まで24年間、ドップリ昭和に浸かって生きてきた私にとって、もう少しで人生の半分以上を平成での年月が占めるようになっちゃうのも少し寂しい気もする。

(そして、あと多分10年もしないうちに、新しい年号になるんだろう・・・)


草田男が懐かしんだ明治も開国から新世紀を築くに至った激動の時代だったが、昭和も負けじ劣らじの時代だったと思う。えらく長かったしね・・・。何度も言うが、明治時期を実体験した記憶は無いむかっ


現代を卑下するために昭和を回顧しているのでは無くて、

まぁ、温故知新とでも言うのだろうか・・・

昭和の良さを十分に体感しているからこそ、今の世の中にも順応出来るようなことがあってもおかしくは無いだろう。



しかし、以前にも感じたことだが、

昭和ネタだとネバー・エンディング・ストーリーになる恐れがあるな・・・。

私はこう見えても、マルチな内容のブログを目指しているのだが・・・

ちょっと気を抜くと突然食べログに偏向したり、昭和一色になりそうだったり・・・。パンチ!


いつか知らないところで

「あいぞうの享楽的昭和の日常(タマに明治回顧録付き」

なんていうブログが立ち上がっているかも知れない・・・


要チェックだ・・・・・目



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