↓の記事のつづきです。文章リハビリ中のため、昔の作文お蔵出し❤️
ある意味自己開示。
まずは『ひびく』(「こころにひびく文章教室」の作品集)の感想文から↓
一部はここで見られるよ⇒☆(音が出るので注意)
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『ひびく』
心の中に何かがひびいてきた。じんとするものが私の中を駆け抜けていく気がした。「こころにひびく文章教室」の作品集を読んだ後の私だ。
この作品集がなぜ「ひびいて」きたのか、それは、参加された方々のこれまで歩んできた道のりが、私にひびいてきたからだ。
とくに、大切な人たちへあてた手紙が印象的だった。若い頃亡くなった父親や長年連れ添ってきた夫や妻。天国の夫から来た手紙というユニークなものもある。そして、ユーモアの中にも、悲しみがあった。
夫の死後の妻の苦労をねぎらう手紙、早くに去った父の無念さを推し量った手紙、妻への感謝の気持ちを表した手紙。それぞれの手紙の中に、これまでの人生の中で経験した苦労や悲しみがにじみ出ていた。同時に、感謝や思いやりの気持ちにあふれていた。そして、それらの思いが読み手である私の心に染みてきた。
文章教室の参加者の年齢は、六十代、七十代が半数を占めている。長い人生から生まれてきたものとそれを伝えたいという思いが、これらの作品を作らせたのだろう。人生経験を積んできたからこそ、発せられる言葉。それが胸にひびいてきた。
そして、それぞれがそれぞれの伝えたいことを素直に表現している。余計な飾りや肩肘の張った表現などない。自分の心に小石を投げ入れ、その響きを素直にとらえている。そう感じた。「ひびく」ものは一つだけではない。
自分の心もひびかせて、読み手の心もひびかせる、「心にひびく」文章ばかりだった。自分に正直に向き合っていく過程の中でまた、成長していっている。そういう印象も受けた。
書くことは自分を見つめ直し、再びつくり上げていくことではないだろうか。その過程での成長と経験との相乗効果が、文章をさらに光らせるのだなと感じた。私もいつかは、このような文章が書けるようになりたい。そのためには、たくさんの人生経験を積んで、自分の心をひびかせていく必要がある。この作品集を読み、そう感じた。
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…以上。2002年5月30日、
22歳、初期のころに書いた作文。
若いなー、私。
ぎこちない文章やけど、初期の割にはよく書けてる方。
続きはまた1週間後ぐらいに
気まぐれ開示するよ
↓分けて頂いた作品集『ひびく』。17年たった今も大切に保管してる。